主観

7月26日
昨夕は燃えるような色の空だった。
その前に洗濯物を取り込んだら、発火寸前?💦と思うくらい熱くて💦、
そのうち洗濯物の外干しできなくなるんじゃないかと心配になるレベルの暑さで、
ようやく日が陰ってきた・・・と、眺めた夕空が燃え立つようで、
夏の太陽の「本気」を感じた+_+

糸井重里さんが、今日のコラムで、
表現すること、発信することの厄介さを、わかりやすく解説して下さっていた。
「雨が降り続いていやだ」というのは「主観」である。
しかし、雨がいやだと言っているその「主観」は、水源のダムが渇水して困っている地域の人が聞いたら、嫌な感じになるのではないか、という感想も呼び寄せる。
あえて他人に嫌がられてまで、雨降りのことを言いたいわけでもないので、「雨がいやだ」という「主観」は出さないことにする。
かくして、「雨が降り続いているが、これについてやまないかなぁと思っている人もいるし、雨が降らなくて困っている人たちもいる」というような「主観」を取り除いたことを書くようになる。
こういうことを何度も続けているうちに、だんだんと、「主観」を出さずにものを言うことが習慣になり、さらには「主観」を持たないように生きていくようになる。
だれだって傷つきたくないし、傷つけたくないからね。
「主観」をどんどん消すような練習をしているわけだ。しかし、「主観」は大事なのだ、という以上に、「主観」がその人なのだし、生きることとは「主観」の積み重なりなのだと、ぼくは思ってもいる。
まさに!と思った。
気心の知れた小さな集まりでの会話とは違って、
ネットを介したブログ発信は、
誰かの思い、誰かの信条とぶつかってしまうリスクを避けることは不可能だ。
自分の思い=主観を残していきたい気持ちと、
様々な受け留め方に忖度する気持ちが、常にせめぎ合っている💦
でも、
糸井さんがおっしゃるように、
「主観」が私で、
「主観の積み重なり」が私が生きるということなのだ。
私は、できるだけ正直に、私をここに残したい。
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