優しさの「死角」

昨夕、専門的な計測器?持参で、次女夫婦がやってきました。
庭木だけでなく、次女が造ったいくつもの木製のドアや、カウンターテーブルや、壁に設置したスピーカーや、ブラケットライトや、コンセントカバーまで、
我が家が解体される前に、全て外して運び出すのに、どの程度の大きさのトラックを準備したら良いかを判断するために。
無用のものとして、廃棄されてしまう・・・と思っていたものたちが、再び、次女の手に戻り、何らかの形で「生き」続けてくれる・・・とても嬉しいサプライズでした♪
そして、これまで、SDGsと、何度も口にしてきた言葉の、本当の意味を噛みしめた気がしました。
食事をしながら、忙し過ぎて、娘婿が痩せてしまった・・・という話題になった時、
「お母さんも、11月ごろ、痩せ方やばかったよね・・・」
と次女に言われ、
夫も、
「そうそう。あの頃は、顔の輪郭から目がはみ出てたよ。」
と笑いました。(夫曰く、私は痩せすぎると、ケムンパスやチワワみたいに、顔の輪郭から目がはみ出すのだそうです+_+)
当時、
母が「食べること」ができなくなり始めたタイミングで、実は私も、「食べること」が苦痛になっていました。
これからが頑張りどころで、母を支えていかなきゃいけないのに💦と、気持ちではわかっていて、体力つけなきゃ・・と思っているのに、
え?!なぜこのタイミングで一心同体??^^;と思うくらい、母の「食べられない」が乗り移ってしまっていました。
でも、夫も次女も、なんにも言わずにいてくれたんだなぁ・・・と思いました。
特に夫は、「食べないの?だったら、僕、食べちゃうよ。」と、私の食べ残しを平らげてくれて、そのせいで随分太りました^^;
「自分が心にかけていること、心配していること」は自覚できるけど、
誰かが自分に寄せてくれている思いに気付く事は難しくて、
だから、ついつい、自分ばかり気苦労して・・、私ばかり気を揉んでいる・・、と、
自分を棚に上げてしまいがちですけど、
私が一人苦しんでいると思っていたあの頃、
娘も、夫も、気にかけて、見守ってくれていたのだと思いました。
山田ズーニーさんが、私達が持ちがちな「死角」について、
「知らない」という壁は、ほんとうに恐ろしい。
どんなにいまの自分が、正しいとか、美しいとか、頑張ってるとか思っていても、
「新しい事実1つ」知るだけで景色の見え方はガラっと変わる。
「いまの自分には、まだ、自分が知らないことさえ気づいていない死角がある」そこ自覚して謙虚でいなければ、私
と記していらっしゃいました。
「知らないこと」により起こる「死角」も厄介ですが、
自分に向けられた優しさを見落としてしまう「死角」は、日常、もっとずっと頻繁に、私達に目くらましをかけているように思います。
優しさを見落とさない人でありたいです。
昨日作った洋風なます(昨日の記事でご紹介した柿・蕪・ミントのマリネです)は、
「春の色で綺麗だね~♪」「美味しい!」と、次女夫婦に好評で、大成功でした。(手前に写っているのは塩焼きそばです^^;)

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