すべては「人」である

すべては「人」である











温泉がないところでは、「温泉さえあればなぁ」とか、ついつい考えたがるし、なんなら温泉を掘ったりもする。
それがわるいとは言わないけれど、温泉があっても人の来ない観光地などいくらでもある。
交通が不便だということで悩んでいる場合も、同じような不便があっても人気のあるところも多い。
よく話していることなのだけれど、おなじみのレストランに行かなくなるときというのは、味がまずくなったからという理由は、ほとんどない。
味ではなく、人のことでいやな思いをした場合に、一気に足が遠のくことになるのだ。
なんだか、そこらへんのところに、たくさんのヒントが隠れているのではないだろうか。
交通より味より温泉より、すべては「人」であるかも?


昨年6月にアップされた糸井重里さんの「今日のダーリン」より抜粋





大抵のことは、そこに心地よい「人とのふれあい」があれば、やってける。

けど、逆に、たとえ衣食住足りていても、そこに、ギクシャクと緊張感を強いられる人間関係しかなかったとしたら、
きっと、心は萎えてしまうと思う。

最後はやはり「人」なのだ。

未来に向けて、大切にすべきものが炙り出されてきた気がするこの頃。

だから、
一度繋いだ手は、決して離さない。






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