マリオが教えてくれたこと
今週末に行う予定の母の三回忌に合わせて、娘たち家族が二泊三日で帰省してくる。
お葬式も、その後の法要も、
生まれて初めて経験した孫二人は、「いつもと違う」雰囲気を察したらしく、
辛抱強く、良い子でいてくれた。
毎回、自分たちが遊ぶオモチャをリュックに入れてやってくる孫たちに、
この度は、私達から特別なプレゼントを準備した。(お正月に会えなかったので、お年玉・・の意味も込めて)
「今時の子は、こういうので遊ぶのかなぁ・・・」と、不安気な夫に、
「大丈夫よ。昔、〇〇〇(長女)たちも、夢中だったから。」と、自信満々な私^^
これまで思い出したことなかったのに、
パッケージを見た途端、タイムスリップしたみたいに、
娘たちが遊んでた様子が鮮明に蘇って、
もしかしたら、孫たちより、娘たちのほうが喜んでくれるかも・・・と思ったりしている♪
「ふゆやすみのおもいで」って6歳が描いた絵が、近所のスーパーから見た夕焼けだった。
昨日、Xのタイムラインに流れてきた刺繍作家・田口ナツミさんのポスト。
そういうことなんだよなぁ・・・と、しみじみした。
「こうだったね」「ああだったね」って、家族同士で友人同士で語る想い出って、何か特別なイベントだったり、旅先の出来事だったりすることが多いのだけど、
実は、心の中には、そーっと沈殿してるみたいに、
お母さんと一緒に近所のスーパーから見上げた夕焼けや、
姉妹喧嘩しながら任天堂のゲームで遊んだことや、
毎朝戦争みたいな賑やかさで登校したことが、
眠ってる。
そういう、何でもない想い出が、何かのきっかけで、フワーっと浮かび上がってくると、懐かし過ぎて、涙腺が崩壊する^^;笑
「想い出作り」っていう言葉に誘導されて💦、
「想い出作らなきゃ!」って、頑張って色んな計画立てたこともあるけど、
そんなことしなくても、全然大丈夫だったんだ。
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