「食べる」こと。
夫婦喧嘩の後、
険悪な雰囲気で食事しながら、
「あ、この人、私が作ったもの食べてる。 なんだかんだ言っても、私のこと信用してるんだ・・・」
と、ちょっとだけ、ほっこりすること、ありませんか?^^;
食べ物って、体の内側に取り入れるものだから、
毒でも盛られた日には命取りになるわけで💦、
【敵方】から提供された食料なんて、恐くて口にできないはずで、
それを、なんの躊躇もなく食べちゃってる・・・っていう状況は、
『さっきは、きつい言い方しちゃったけど、敵対してるわけではないからね・・・』
の、無言の意思表示のように感じられます。笑
料理研究家の土井善晴先生が、
「血のつながった家族がいなくても、お料理して食べる、お料理してもらったものを食べる関係ができれば、そこに新しい家族が生まれているのです。」
と、著書に記していらした言葉が心に響きました。
「食べる」という、生きるために必要な、とてもベーシックな行為は、
実は、無意識ながら、自らの命を委ねたり、委ねられたりする・・・ほどの大きな信用の存在を前提としているのですよね・・・・
だから、
誰かのためにお料理してあげたり、お料理してもらったものを食べたり・・・という関係性の中に、知らず知らず、家族ほどの信頼関係が築かれていく理屈は、とてもよくわかります。
昔、大好きで必ず観ていたテレビドラマ「寺内貫太郎一家」の中に、
毎回、大家族(+居候)勢ぞろいで、大きなちゃぶ台を囲んで食事するシーンがあって、
その様子だけで、『喧嘩ばっかりしてるけど、本当は皆仲良しなんだろうなぁ・・』と思っていました♪
私も、将来一人暮らしになる可能性があるわけですけれど、
例えば、「順ぐりで、週に一度、家庭料理を作り、ふるまう会」を、数人のグループで作ったら、楽しそうだなぁ・・・
「あ、来月の第一水曜日は、私が食事当番だわ♪」と、月に一度くらいのペースで巡ってくる順番を楽しみにできるような。
いくつになっても、どんな状況になっても、
生きて行く基本のところを大切に、
ひとところに、ずっぽり寄りかかることのないよう、
気持ちを少しずつ預けられる 軽やかでカジュアルな「信頼関係」を育くむライフスタイルを維持できたらと思います♪
・・・今週の食卓の花。
ギカンジウム。
巨大な葱坊主みたいだなぁ・・・・と思ったら、まさに、別名『花葱』でした^^
花火の大玉にも似てて、可愛いです♡
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