秋は?

秋は?








今日の空。

雲の形や色が、真夏の頃と変わった気がします。

そういえば、昨夜は、小さく虫の声も聞こえてた。







今朝、佐々木俊尚さんのVoicyで紹介された「葦」(敗戦間もない日本で出版された人生記録雑誌)に記載された一節を思いながら、



ほんのり秋の気配がする空を眺めていました。



「地位や名誉を得ようとするのではない。ただ我々は良い生を生きたい。」




戦争の爪痕が大きく残る時代に、「良い生を生きたい」と願った人たちの思いと、

それから70年の時を経て、「良い生を生きたい」と願う私の思いは、



具体的に思い描く情景や、使う言葉は違うかもしれないけど、



でも、きっと、「同じ思い」なのだろうと思うのです・・・







私は、夏生まれのせいか夏が好きで、

毎年、秋の気配を感じる頃になると、
夏が終わってしまうことが寂しくてしかたなかったのですけど、




先日、

「日本は、春夏秋冬の四季がなくなり、夏と冬の“二季”になっていくと考えられます」(!)

という、三重大の立花義裕教授の解説を報道番組で聞いて以来、




今は、ただただ「秋よ・・・ちゃんと来て><」と祈る気持ちになっています。




「四季がある」という、揺るがない安心感に支えられてこそ、
「あ~・・ 大好きな夏だけならいいのに。」って、我が儘が言える・・・





そんな風に、「決して揺るがないもの」の支えが前提にあり、その上で、
「もっとこうだったらいいのに・・・」と、時に不平も言いながら、

日々の暮らしのなかで、「良いもの」「心安らぐもの」を見つけ、楽しむことが、
今も昔も、「良く生きる」ことのベースで、





価値観や生活の基盤が、破壊され、揺れっぱなしだった時代にも、

揺るがずにやって来る「四季」に、人は支えられ、

「もうすぐ春だから・・・」と頑張れたり、

秋の実りを楽しみにしたりしながら、「良く生きる」ことを、諦めずにすんだのだろうと思うのです。




四季の他にも、無条件に与えられてる「恩恵」って、本当に沢山あって、(空気だとか、水だとか、太陽光だとか)

それら全てが「当たり前」になってるけど、「当たり前」じゃないんだってこと、



それらが支えてくれてることへの恩返しの意味でも、「良く生きなきゃ」ってこと、



なくなりそうな「四季」が、「ちゃんとしろよ!」って喝入れてくれた気がしています。



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