最後。

最後。














今日は、いつもより早く、先ほど、家の周囲に落ちたツルウメモドキの葉っぱを掃除しました。



15時半から、土地家屋調査士さん監督のもとで行われる土地境界線の確認作業があるためです。






私が落ち葉掃除をするのは、この秋が人生最後なのかも!?と、突然思いました。
次はバリアフリーのマンションでの生活を予定しているので、
そのままそこに居住しつづければ、生涯、庭木を植えるチャンスはありません。






「私の人生で、これが最後」って意識できることって、いったいどのくらいあるのでしょう・・・







先月初旬に、母の希望で、海沿いのレストランで食事をしました。
今思えば、あの日のランチが、母にとって最後の外食だったのだと思います。





翌日私がブログにアップした記事を読んで下さった皆様は、
あの日起きた「奇跡のような出来事」を覚えていて下さることでしょう。









店内は満席で、50分待ちだと言われ、「またの機会にしよう。」と、あきらめることを促した私に、母は、「待ちますよ。」と引かず、




その様子を見ていらした先客のご夫妻が、自分たちの順番を譲って下さり、
母は、望み通り、海を見ながら食事をすることができました。






あの時の母の頑固さも、
奇跡のように現れて下さったお二人の存在も、


「最後の日」だからこそ、、、のことだったのかも知れません。







先日弟と夫に、同じことを注意されました。

私が、「母の思い」を重視しすぎるのは良くない・・という注意でした。


体調により心も揺らぐだろうし、判断能力も衰えているから、
何でも母の言うとおりにしてあげたい・・という気持ちを抑えて、
私自身の判断で動く方が良いのではないか・・・  といった内容でした。






でも、あの日の奇跡を思うと、


もしかしたら、「これが最後かも・・」っていう直感のようなものを、
母は感じ取ることができていて、
そのせいで、


私からみると、無謀に思えたり、我が儘に思えることを、言い張ることがあるのかも・・・と思えるのです。





今私が「老い」の初心者で、手探りで「老い」を受け留めつつあるように、


母は「終い」の初心者として、手探りの毎日で、
きっと、今の私の年代では見えないもの、気付けないものに、
日々、出会ったり、気付いたりしながら、「終い」の時を受け留めつつあるのだと思います。


だから、私は、今までどおり、これからも、母の揺らぎも含めて、その時その時の母の意思を、できるだけ汲んでいくつもりです。



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