食べることを止める。
昨日は、雪による道路規制が解除され、一日遅れで、母に会えました。
施設の部屋のカーテンレールに、タペストリーのツリーを飾り、
麹甘酒で乾杯しました。(母は半口だけ飲んでくれました。)
クリスマスプレゼントに選んだハイネックのセーターを、
「襟だけ色が違うのね。オシャレね。綺麗な色。」
と、とても気に入ってくれました。
サンタクロースの形のパーティー用メガネも、夫が、
「すごく似合ってますよ♪」
と言うと、ずっと掛けていました。笑
プレゼントしたセーターに着替えるため、数分椅子に座ったのですが、やはりつらいようで、
ベッド上で乾杯しました。
「これなら食べれるかな・・・」と持参したドリヤとスフレチーズケーキは、
「要らない。なにも食べたくないから下げてちょうだい。」と、
視野に入るだけで気持ち悪くなるとのこと+_+;
食べることが大好きだったのに、今や食べることが苦行になってしまっている母ですが、
自力で立ち上がることさえ一苦労な状態になった今も、
「オシャレ心」は昔と変わらず持ち続けているようで、
お願いしていたネイリストさんが、部屋に出張して来て下さって、
施術してもらった爪を、
「雪の結晶を描いてもらったの。」
と、嬉しそうに見せてくれました。
気にしていた白髪も、酸素ボンベを抱えて車いすを押してもらって、美容院で染めてもらっていました。
今朝、ケアマネージャーさんと電話でお話していると、
「とにかく、お食事を召しあがらないから、そこを何とかしないと・・・と思っているんですけど、なかなか・・・ 無理して召し上がると、戻してしまわれる状況で・・・」
と言われたので、
「私もずっとそう思ってきて、母と話すたび、会うたびに、食べれてる?食べれた?ってことを一番に確認する癖がついて、何とか食べてもらおうとしてきたんですけど、
母に食べ物の話をすると、険しい顔つきになるんですよ。嫌なこと、言わないで・・・っていう表情。
昨日もそうでした。
でも、オシャレの話になると、笑顔が出るんです。
だから、もう、食べれないのは仕方ないかな・・って思うんです。
それより、転んで痛い思いをしたり、何か不安な思いをしたり・・・ということがないよう、いつも安心していられる環境を整えて、少しでも笑顔の多い余生にしてあげたいと、今は思っています。」
と伝えると、
「わかりました。そうしましょう。」
と、年明けから介護サービスの形態を変えていく選択肢も提案して下さいました。
「ご家族は、おもいっきり我が儘を聞いてあげて、甘えさせてあげて下さい。」
といつも言って下さるケアマネージャーさんの助言どおり、
これから、母と会う時間は、食べ物の話はせず、
髪を梳かしたり、足の爪をマッサージしたり、母がオシャレに、綺麗に、いられる手助けをしていこうと思います。
「頑張って食べよう!頑張って食べて!」と母を励ましていたつもりが、
それは、私自身の勝手な押し付けに過ぎなかったことに、ようやく気付けました。
不快な思いを繰り返しながら過ごす時間分、母の命が長らえたとしても、それは母の幸せではなくて、
少しでも長く「こちら」にいて欲しい・・と願う私たちの身勝手に過ぎず、
母は、母の寿命を、自分が心地よく感じる時間として費やしたいはずだ・・って、
当たり前のことが、ようやくわかったのです。
年老いた親は子供に戻るっていいますけど、
唯一絶対に違うのが、
未来への展望で、
これからずんずん成長していく子供の子育てと、
命を終えようとしている親の看取りでは、
主軸にするものが全く異なります。
「もういにゃにゃい・・」と、好き嫌いして食が進まなかった娘に、フードプロセッサーを駆使して、野菜を食べさせていた子育て期を思い出すと、
「食べたくないのなら、仕方ないか・・」と、白旗上げることは、すごく薄情なことのように感じてしまいますけど、
そうじゃなくて、母の体が、自然の摂理のままに、食べることを止めようとしているのだ・・
と、自分に言い聞かせています。
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