「おまけ」いろいろ。
昨日は、筍掘りにお招きいただいたお礼を送りたくて、久しぶりにデパートをうろうろ♪^^;
結局、外れのない 茅乃舎の出汁、つゆ、ポン酢のギフトセットを選んだのですけれど、
事前に用意しておいたサンキューカードを添えてもらいました。
絵心のある友人に、イラストと自筆の文章で綴る絵日記(ノート)を見せてもらったことがあって、
友人の記憶のフィルターを通して切り取られた とびきり素敵な情景に感動し、
私も真似てみたいなぁ・・と思っていました。
そこで、筍掘りの一日を、絵日記風なカードにして、お礼状にしようと思いついたのです。
とはいえ、絵が下手な私にはイラストは難関すぎるので💦、画像を切り貼りして文章を添えました。
使った画像は、筍掘りの日に、お寺の境内に咲いていたお花たち。
牡丹。
山藤。
オオデマリ。
八重桜。
タンポポ。
シャガ。
言葉を選び、文章を考えながら、楽しかった一日を振り返る作業は、
思いがけない おまけをもらったみたいな ひと時でした^^
かつて大学で教鞭をとっていらした方が、日本文学の英訳本をテキストとして使われた際の印象を、
「英訳で読むと、谷崎潤一郎はまったくの別物としか言いようがなく、芥川龍之介は西洋文学を読んでいるような感じになり、村上春樹はほとんど印象が変わらなかった。」
とツイートしていらして、
ものすごくわかる気がしました。
日本語の持つ、日本語でなければ表せないニュアンスってありますよねぇ・・・
カムカムエヴリバディでも、【木漏れ日】という単語は英語にはない・・というエピソードがありましたけれど、
言葉の持つ解析度が違う・・というか、
日本語表現には、その言葉の背景にあるものの気配まで感じさせる含みを感じます。
筍掘りをした日の陽気を、「光どのかな」とあらわすのか、「春爛漫の」とあらわすのか・・・みたいに、
一言一句の用い方で、読み手の心象が変わっていく・・
俳句や短歌といった言葉遊びも、そんな日本語の奥深さゆえ成立するものですよね。
そうそう。
村上春樹さんの文章が、翻訳されても印象が変わらない訳は、
(私の個人的な憶測ですけれど)翻訳され、海外で読まれることを前提に執筆していらっしゃるからのような気がします^^
宅配の手続きをして下さった販売員の方に、
「これも添えて送って下さい。」
とカードを手渡すと、
「わ!喜ばれますね!封筒に入れましょうね。」
と、オーバーなくらいリアクションして下さいました。笑
手渡しでお釣りを受け取ることもためらわれるようなご時世ですけれど、
たとえ稚拙でも^^;、人肌を感じる手作業には、日本語と同様、その背景まで「おまけ」でついてくるような味わいがあるように思います。
・・・もう一つのおまけ。
昨日、筍掘りの日の余韻に浸りつつ^^、カード作成していたところ、
お隣さんが、「筍のお礼に」と、パンを届けて下さいました。
思いがけないもう一つの おまけです♪
【How to eat】と題された小冊子に、美味しい食べ方の案内があり、
初日の昨日は、アドバイスどおり、焼かずに生食しました。
普段はハード系のパンばかり食べているので、新鮮な美味しさでした。
二日目の今日は、ランチタイムに、画像どおりの薄焼きトーストにして食べてみようと思います♪
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