あたかも一万年生きるかのように行動するな。
・・・時が変えていくもの。
昨日は、久しぶりに、夫の実家へ行きました。
去年の義弟の結婚披露宴以来ですから、半年以上ご無沙汰していました。
手土産に、スズランの小鉢と、苺と、麩饅頭を買いました。
麩饅頭は、母子二人で経営していらっしゃる近所の和菓子屋さんのもので、
注文を受けてから、一つ一つ笹の葉で包んでくれるので、少し時間はかかりますが、
笹の香りがうつった つるんとした生麩と、甘味を抑えた餡子が美味しくて、
毎年、「麩饅頭」の のぼりが立つ この時季を楽しみにしています。
私たちがこの地に越してきた10年前には、息子さんが和菓子を作り、お母さまが店頭に立つ分業スタイルで営業していらしたのですけれど、
ここ数カ月は、息子さんがお一人でどちらも受け持っていらっしゃる日が多くなりました。
昨日も、最初はお母様が接客して下さっていましたが、
お店で導入されたバーコード支払いをお願いしたところ、
お母さまには対応が難しかったようで、途中から息子さんに交代しました。
義父母は元気そうで、
義母は、
「スズラン可愛い!私が好きなの、覚えててくれたのね。
苺も麩饅頭も美味しそう。ありがとう、ありがとうね。」
と、とても喜んでくれました。
夫にそっくりな義父も、終始ニコニコと笑顔でした。
帰路、車を運転しながら、夫が、
「親父も、お袋も、歳とったな・・・」
と言うので、
「そうよ。 親孝行~」と言いかけると、
「したい時には親はなし・・・」と夫が続けました。
【あたかも一万年も生きるかのように行動するな。
不可避のものが君の上にかかっている。
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。】
ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスが『自省録』に残した言葉です。
和菓子屋さん親子も、義父母も、夫も、私も、みんな、一万年生きられるわけじゃない。
あっという間に過ぎる10年の歳月を、10回も繰り返せば終わってしまう生涯が、私達に許された時間です。
刻々と進み続ける時の中で、自分にかされた不可避のものを、棚上げにしておく猶予なんてないのです。
「生きているうちに、許されている間に、善き人たれ!」
夫の胸にある義父母へのわだかまりの正体は、私にはわかりませんが、
わだかまりは解けなくたっていーじゃない。
解決しないことは解決しないまま、かかえたままで いーじゃない・・って思います。
それでも、優しい時間を共有することはできる、していこう!と思います。
・・・時が育むもの。
孫娘が描いてくれた 孫娘と私。
「おばあちゃま」の文字も、孫娘が書きました。
一人で絵本を読めるようにもなりました。
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