そこにいること

そこにいること







8月25日



8月最終週がスタートした。
昨日は、子供たちにとって、夏休み最後の日曜日だったのかな・・・



長女ファミリーと三女ファミリーが合流して水遊びをする様子が家族LINEに送られてきた。



上の孫二人は、外を走りまわりたい盛りに、新型コロナウイルスによる外出制限を経験している。

こうして、皆の笑顔を見ていると、本当に良かった・・と、感無量だ。






先月、上の孫たちのピアノ発表会を聴きに行った際、
短時間だったけれど、長女のお婿さんのお母様と二人きりで、
お茶を飲んで話をした。



長女のお婿さんのお父様は、長く療養生活をしていらして、
そのケアを続けていらっしゃることもあり、
夫のことも、夫の状態を心配する私のことも、気遣って下さって、
「誰かに本音を話せてる?私で良かったら、何でも聞きますからね。」と言って下さった。



そして、別れ際に、
「もう、別に、何もしてくれなくてもいいのよね。ソファーに座って、そこにいてくれる・・それだけで安心だし、幸せなのよね。」
とおっしゃる言葉が胸に沁みた。



なにかの仕事や作業とかばかりじゃなく、「そこにいること」だけを「あてにされてる」もあるよ。
家族の間にあるのって、そういう関係かもしれない。
犬や猫のペットたちも、「そこにいること」だけを「たよりにされてる」とも言えるよね。
「あなたといっしょにいたい」っていかにも恋文だけど、思えば、犬や猫との関係と同じようなことでもある。
「なんにも期待したりされたりもしてない」のに似た「たよりにされてる」ということだぞ。


~~~糸井重里さんの『今日のコラム』より抜粋~~~





「そこにいること」だけを「たよりにされてる」・・・



普段は、いろんなバイアスがかかって、
「こうして欲しい」「もっとこうであれば・・」と、不満や期待がのっかってしまうけれど、



そういう、枝葉の部分を全部取っ払ったら、
「愛する」ことの本質は、「ただそこにいてくれればそれでいい」という気持ちなのだろう。



笑顔で水遊びをする子供たちも、
それを見守る大人たちも、
互いの心の深部にあるのは、「ただそこにいてくれればそれでいい」という祈りに似た気持ちなのだと思う。



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