つながってゆくための言葉。

つながってゆくための言葉。







昨日は、とても人気がある上に、予約が不可のため、行列待ち覚悟💦と聞いたお好み焼き屋さんへ行きました。



「きっと昼食時や夕食時は、すごく混雑してるだろうから、隙間の夕方4時くらいに行ってみよう!」
と、夫と作戦を練り、作戦は見事成功して^^、待ち時間なくテーブルに付けて、美味しいお好み焼き(私は葱焼き)を食べることができたのですが、



その代わり、寝る前にお腹空いちゃうかも💦な心配がでてきて、
昼食に炊いたご飯の残りをお握りにして、小腹が空いたらつまむことにしました。



で♪ 活躍してくれたのが、母が残してくれた陶器のお重箱です。
一段だけ使って、お握りを詰めておいたのですけど、
ただのお握りなんだけど^^;、ちゃんと「お夜食準備しました」感が漂い(笑)、
「器、大事だなぁ・・・」と、改めて思いました。



ご飯に、ごま油、塩、韓国のり、炒りゴマを混ぜて握りました。

(手前の小皿は、蛸の燻製と一緒に北海道物産展で買ったカズノコの雲丹和えです。)






・・・3月3日に亡くなられた作家の大江健三郎さんが、母と同い年でいらしたことを知り、
引っ越し準備の合間に、大江さんが残した文章を、時々読んでいました。



その中で、とても心に残った一節がありました。
御子息の光さんについて書いていらっしゃるものです。
少し長文になりますが、引用します。



私の家庭の最初の子供は、光という男の子ですが、生まれて来るとき、頭部に異常がありました。頭が大小、ふたつあるように見えるほどの、大きいコブが後頭部についていました。
それを切りとって、できるだけ脳の本体に影響がないように、お医者さんが傷口をふさいでくださったのです。
 
光はすくすく育ちましたが、4、5才になっても言葉を話すことはできませんでした。
音の高さや、その音色にとても敏感で、まず人間の言葉よりも野鳥の歌をたくさんおぼえたのです。
そして、ある鳥の歌を聞くと、レコードで知った鳥の名をいうことができるようにもなりました。
それが、光の言葉のはじまりでした。
 
光が7才になった時、健常な子供よりも1年おくれて、「特殊学級」に入ることになりました。
そこには、それぞれに障害を持った子供たちが集まっています。
いつも大きい声でさけんでいる子供がいます。
じっとしていることができず、動きまわって、机にぶつかったり、椅子をたおしてしまったりする子もいます。
窓からのぞいてみると、光はいつも耳を両手でふさいで、体を固くしているのでした。
 
光はどうして学校に行かなければならないのだろう?
野鳥の歌だけはよくわかって、その鳥の名を両親に教えるのが好きなのだから、3人で村に帰って、森のなかの高いところの草原にたてた家で暮らすことにしてはどうだろうか?
私は植物図鑑で樹木の名前と性質を確かめ、光は鳥の話を聞いては、その名をいう。
母親はそのふたりをスケッチしたり、料理を作ったりしている。
それでどうしていけないのだろう?
 
しかし、大人の私には難しいその問題を解いたのは、光自身だったのです。
光は「特殊学級」に入ってしばらくたつと、自分と同じように、大きい音、騒音がきらいな友達を見つけました。
そしてふたりは、いつも教室のすみで手をにぎりあってじっと耐えている、ということになりました。
 
さらに、光は、自分より運動能力が弱い友達のために、トイレに行く手助けをするようになりました。
自分が友達のために役にたつ、ということは、家にいるかぎりなにもかも母親にたよっている光にとって、新鮮な喜びなのでした。
そのうちふたりは、他の子供たちからはなれたところに椅子を並べて、FMの音楽放送を聞くようになりました。
 
そして1年もたつと、光は、鳥の歌よりも、人間の作った音楽が、自分にはさらによくわかる言葉だ、と気がついていったのです。
放送された曲目から、友達が気にいったものの名前を紙に書いて持ち帰り、家でのそのCDを探してゆく、ということさえするようになりました。
ほとんどいつもだまっているふたりが、おたがいの間ではバッハとかモールアルトとかいう言葉を使っていることに、先生方が気がつかれることにもなりました。
 
「特殊学級」、養護学校と、その友達といっしょに光は進んでいきました。
日本では高校3年生をおえると、もう知的障害児のための学校はおしまいです。
卒業してゆく光たちに、先生方が、明日からもう学校はありません、と説明されるのを、私も親として聞く日が来ました。
 
その卒業式のパーティーで、明日からはもう学校はない、と幾度も説明を受けた光が、「不思議だなあ。」といいました。
するとその友達も、「不思議だねえ。」と心を込めていい返したのでした。
ふたりともおどろいたような、それでいて静かな微笑をうかべて。
 
母親から音楽を学んだのがはじまりで、もう作曲するようになっていた光のために、私がこの会話をもとに詩を書いて、光は曲をつけました。
その曲が発展した『卒業・ヴァリエーションつき』は、いろんな演奏会で多くの人に聴かれています。
 
いま、光にとって、音楽が、自分の心のなかにある深く豊かなものを確かめ、他の人につたえ、そして自分が社会につながってゆくための、いちばん役にたつ言葉です。
それは家庭の生活で芽生えたものでしたが、学校に行って確実なものとなりました。
国語だけじゃなく、理科も算数も、体操も音楽も、自分をしっかり理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉です。
外国語も同じです。
そのことを習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ、と私は思います。

(大江健三郎 作「『自分の木』の下で」)






【他の人とつながってゆくための言葉】
それは、言語に限らず、手の温もりであったり、優しい微笑みであったり、穏やかな視線であったり、音を奏でることであったり・・・


それを学ぶために学校へ行く。
素敵で、幸せな動機です。




先日、私の孫娘と同様に、この春に、お子様が小学校へ入学された・・・というお母様から、「ファンレターです^^」とメールをいただきました♪^^



この春誕生した、たくさんの新一年生たち、そして、上級生たち、中学生も、高校生も、大学生も、みんなが、なにかしら、【他の人とつながってゆくための言葉】を見つけることのできる学生生活でありますように!



ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村