ほころび

晴天なのに、白く霞んだ空。
天気予報で注意喚起されていたとおり、
今日は強い風にのって、黄砂が舞っているらしい><

今月末までに、計7句の俳句を作句する必要があり💦(6句は4月の季語、1句は5月の季語で)、
ここ数日、ずっと頭の中で五七五のリズムがループしている+_+;
4月ってどんなふう?
5月ってどんなだっけ?
と、これまでの人生で、なんとなく見過ごしていた春の風景から、
「表現したい何か」を抽出すべく、神経の先端を過敏に働かせている感覚だ。
ウォーキングの途中にある桜の木の蕾が、
ここ数日の暖かさで、薄色に膨らんできた。
大きな桜の木で、樹齢は100歳を超えているのではないかと思う。
幹や枝は、まるで無機質のようにゴワゴワと硬いけれど、
先端に付いた蕾は、そっと指先で触れると、脈打つ命を感じる柔らかさだった。
老木という呼び名が似合う桜の木が、
硬さを破って、柔らかな芽を育て、花咲かせるように、
人も、
身も心も凝り固まりやすい年齢になっても、
新芽のような柔らかな部分を、どこかに1つでも持っていられたなら、
きっと、そこが、自らをほどく命の源であり続けるのだろうと思う。
美術評論家的な人がゴッホの絵について「ゴッホはこういうふうに見えていたんですね」なんて言うけどもね、そんなはずはないよ、あんなふうに見てたら危なくて道を歩けないよ。
絵の具があんなにゾロゾロしてるような道なわけないじゃない。
ゴッホがそういうふうに「描きたかった」だけの話で、そういうふうに「見えていた」わけじゃないんですよ。
~~~高倉大希さんが note でシェアして下さった横尾忠則さんの言葉~~~
目に見える風景の中から、何を抽出し、どう表現するのか。
「こう見えた」じゃなくて、「こう描きたかった」とゴッホが描いたように、
「こう見えた」じゃなくて、「こう詠みたかった」と作句できたなら、、、と、
新芽のほころびを信じて^^;、五七五をこねくりまわしている。
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