ほんのちょっと。

ほんのちょっと。







遠方に住む次女が、空路、甥っ子に会いに三女宅を訪れた様子が、
家族LINEで送られてきた。





あなたのお母さんと大の仲良しな伯母ちゃまだよ♪
抱っこしてもらって良かったね^^
と、画像に語りかけた。





「幸せは総取りすることができない」
というタイトルでアップされた文筆家の古賀史健さんの note に、


その例えの一つとして、

成功して、多くの資産を持ち、超が付くほどの有名人になった人は、
誰の目も気にせず、スタバのオープンテラスで のんびりコーヒーを飲む幸せを味わうことはできない・・・

と記されていた。



確かに^^;



世の中には、様々な幸せの形があって、
果たして、自分が欲している幸せはどの形の幸せなのか・・・を見極める必要がある・・・と、山田ズーニーさんも『大人の小論文教室』で言及していらした。



お金儲けをして、湯水のように散財することを幸せだと感じる人もいれば、

署名人として、社会的地位を築くことを幸せだと感じる人もいれば、

次々に優れた作品を生み出す才能を持つことを幸せだと感じる人もいれば、

古賀史健さんのように、「犬がいて、自分がおもしろいと思える本を書いて、それで好きな人とおいしいものを食べられたら、そんなに幸せな人生はない」と感じる人もいる。



私は前期高齢者と呼ばれる歳になって、
ようやく、
自分が求める幸せの形が、とても明確になった気がしている。



以前、長女が、
「我が家で【肉】と言う言葉が指すものは【鶏肉】です。」
と断言した時、

長女のお婿さんが、
「好きなものは、ほんのちょっとで満足だから、ちょっとだけ牛肉買ってくれる?」
とお願いしていて(笑)、笑ってしまったのだけど、

幸せも同じだ。


総取りなんて、滅相もない。


ちょっとでいい。そこんとこだけで満足だ。



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