わかられない と 小さな安心
【7月4日】
私が自分の想う方向へ進んで、
山田ズーニーさん『大人の小論文教室』より
それは人が全然来ない道で、
その道を進んで、進んで、つかんだ。
「私だけの景色」がある。
それはいい意味で、他人に簡単にわかられない。
40代の頃、趣味で登山をしていて、山仲間と、山頂からの景色を眺めていた時、
『同じ景色を見ていても、心の中に感じる思いは、それぞれ違うんだろうなぁ・・・』という当たり前のことに、ふいに気付いた。
そういう意味で、私は、「人は、根源的にわかりあえないものなのだ」と悟るまでに、
随分長い年月がかかった方だと思う。
それぞれが「他人にわかられない」部分を持ち合わせている同士なのだ・・・と
「わかりあえないこと」を理解するようになってからは、
良い意味で、人に過度な期待をしなくなり、
ふわっと、曖昧模糊な感じで、心通じる領域で、心地よい関係を保つことが幸せだと思うようになった。
私は自分の、「他人にはわかられない」部分を大事にしているから、
同じように、私が大切に思う人たちの「他人にはわかられない」部分も尊重したいと思う。
「わからないこと」に囚われ、苦しんだり、悩んだりする状態から解放されて、
わらないことは、わからないまま、そっとそのままで良いのだ・・・という境地に至ることが、「成熟」って呼ばれる状態なのかもしれない。
【7月5日】
仕事の関係で、半日遠出していた夫が、
お土産に、「わさびオイルふりかけ」を買ってきてくれた。
昔から、食べ物の嗜好だけは一緒なので、ありがたい^^
半日だけの不在だったけれど、たまたま、自宅のすぐ近くで交通事故があり、
夫も、自分で車を運転して出かけていたので、
帰宅するまで心配した。
ついつい、平穏な毎日を「当然だ」と思ってしまいがちだけど、
健康に過ごせる、事故なく過ごせる・・・といった、一つ一つの「小さな安心」「小さな安全」が無数に積み重なって、
奇跡のように、今日がつつがなく過ぎていくのだ。
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