カチューシャにまつわる物語。
今日は、カチューシャを付けました。
私がカチューシャと出会ったのは小学4年生の時でした。
その頃は、「カチューシャ」じゃなく、「ヘアバンド」って呼び名だったな・・・
当時、私の髪は、肩より少し長めで、
前髪が立ち上がる癖があったので、自然に前髪が分かれ、何もしなくても目にかかることはなかったのですが、
同じクラスに、いつもロングヘアをハーフアップにしているヒロミちゃんという女の子がいて、その髪型が可愛くて、母に頼んで結んでもらっていました。
けど、母は、忙しい朝の時間に私の髪を結うことが手間だったらしく、ある日、「明日からはこれをして行きなさい。」と、カチューシャを手渡され、それからはカチューシャをして登校するようになりました。
当たり前に全部与えられちゃったものより、すごくほしかったのに手に入らなかったもの、与えられなかったもののほうが、私を豊かにしてくれたんだなって思えます、今は。
欠乏してる状態の大切さ。思ってるような方法でほしいものが手に入るわけじゃない。全然ちがう方向から、ちがうルートを経て、全然ちがうタイミングでめぐりあえたりするなって思いました。
かつて、宇多田ヒカルさんが、インタビューに応えるかたちでお話された言葉です。
小学4年生だった私は、母からカチューシャを手渡された日、「これからは、自分のことは自分でしなさい。」と、引導を渡されたような気持ちになりました。
その後も、綺麗なハーフアップのヘアスタイルで登校するヒロミちゃんを見るたび、
「いいなぁ。お母さんが髪を結んでくれるんだなぁ・・」と羨ましく思っていました。
結婚して、娘が生まれた時、
「私が髪を梳かして、結んであげられる」ことがとても嬉しくて、
長女も、次女も、三女も、皆、生まれてから腰くらいに髪が伸びるまで、一度も切ることなく伸ばしました。
どんなにバタバタした朝でも、娘たちの髪を梳かし、結ぶ時間は大切なひとときでした。
やがてそれぞれ、オシャレに目覚め、「ショートカットにしたい」「ボブにしたい」と、自発的に髪を切ってしまいましたけど、
それでも、その後も、「お母さん、結んで。」と頼まれる時には、嬉々として^^髪を梳かしました。
私は、ヒロミちゃんみたいなハーフアップにしたかったんじゃなくて、
母に髪を梳かしてもらう時間が好きだったんだ・・・と、
娘たちの髪を梳かしながら思っていました。
宇多田ヒカルさんがおっしゃったように、
すごく欲しくて、でも、与えられなかったものを、
私は、まったく違う形で手に入れなおすことができました。
今も、カチューシャを付けるたび、ちょっと胸キュンな思い出が蘇るのですけど、
でも、もう、あの日の、欠落したような寂しさは微塵もありません。
母はきっと、それほど大したことには思ってなくて、
「あ、これ便利だわ。」くらいの気持ちで、カチューシャを私に手渡したのだと思うし、
娘たちも、私がそんな気持ちを引きずりながら^^;、髪を梳かしてたなんて、思ってもいなかっただろうし、
人生って、
そんな風に、他者からしたら、「え!そんなこと考えてたの??」みたいな驚きの心理を、それぞれが抱えながら、自分の物語を作り上げていくのだろうなぁ・・と思います。
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