ドンチュ~?

ドンチュ~?







【6月30日】

母が生きてれば、90歳の誕生日。

前日の夕方に友人が届けてくれたアガパンサスを、お仏壇にも飾ってお祝いした。









孫たちが夏休みに入ったらすぐに、
長女家族と合流して旅行する計画を立てていて、



毎日忙しそうな長女から、「今はそれを楽しみに生きてる💦」とLINEがきた^^;



振り返ると、私自身も、人生で一番忙しかったのは30代で、
ちょうど今の娘たちの年代だ。



たまに実家に戻ると、決まって、その日のうちに熱を出して寝込んだ+_+



母は、「またなの?」とあきれた様子で^^; 
それでも、毎度、孫守りの応援に、祖母を呼び寄せてくれていて、



私は、水分補給と、上げ膳据え膳で栄養補給をする以外は、ただただひたすら眠り続けた。




守られてたんだなぁ・・・と思う。 今になって。






【7月1日】


夏井いつき先生と糸井重里さんの対談記事を読んだ。


糸井さんは、俳号を「丼宙(どんちゅう)」にしたそうだ。



~~ドンチュ~? という、英語にも聞こえるところ(笑)を気に入っていらっしゃるご様子で^^



「井の中の蛙」からの発想で、

「丼の中の宇宙」・・・つまり、

丼が表すところの「生活」だけでは足りない何かがあるとしたら、
それは「宇宙」なのではないか・・・という意味を持つ俳号なのだそう・・・




生活と宇宙・・・

全く相容れない突飛な組み合わせだけれど、

でも、私達は、日々、とてもドメスティックな「生活の部分」と、
それとは逆に、思いを空に飛ばすような「宇宙の部分」のバランスを取ることで、

今を、明日を、生き抜けているのだろうと思う。




私個人の感覚では、
洗濯するとか、ご飯を作るとか、そういった「それしなきゃ、毎日が回っていかないよ!」っていうことは、「生活の部分」だけど、



花を飾ったり、お仏壇に手を合わせたり、遠い想い出を手繰り寄せて懐かしく優しい気持ちになったりすることは、全て「宇宙の部分」だと感じる。




丼の中から宇宙と交信するみたいに、
思いはどこまでも飛ばせるし、どんな形にも変化する。
そう思うと、たとえ雨に降られて一日閉じこもっていたとしても、
私には無限の自由がある・・・と思える♪

ドンチュ~?^^



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