二人きりで過ごした。
出張帰りに途中下車して、お墓参りをしたい・・・との弟の希望で、
昨日、駅で弟をピックアップし、お墓へ同行し、その後、母が生前最後に外食した海沿いのレストランで昼食を食べた。
母が存命だった頃も、亡くなった後も、弟とは年に1~2回のペースで会ってはいるけれど、
「二人きり」で会ったことは、弟の結婚後は一度もなかった気がする。
母の生前は、
母+私の家族+弟の家族でお正月を祝ったり、
それぞれの家族から参加できるメンバーが集って旅行に行ったりと集団行動だったし、
母の没後も、皆で集まって法要を行っていたから、
つねに、誰や彼やが一緒で、
でも、そのことを居心地悪く感じたことなどなかった。
けれど、昨日、思いがけず、
「生家」のメンバーとして、ただ二人残った弟と私だけで過ごせたことで、
【誰かの旦那さん】でも【誰かのお父さん】でもない弟と、
【誰かの奥さん】でも【誰かのお母さん】でもない姉(=私)とで、
【おばあちゃん】でも【お義母さん】でもない母への思いを、いっぱい話すことができて、
とても嬉しかった。
↑二人で、母が好きだった海を眺めながら、母が好きだった海老フライを食べた。
乗り継ぎの新幹線の時間ギリギリまで、おしゃべりをしながら、
「私には、この時間が必要だったのだ。」と、強く思った。
平野啓一郎さんが『私とは何か――「個人」から「分人」へ』で記されたように、
いくつもの顔を持つ私の中に在る「母の娘である私」は、
いくつもの顔を持つ弟の中に在る「母の息子である弟」と、
「姉と弟」として、「二人だけで」母を思い、語り合う時間を、ずっと欲しかったのだと思いながら、笑って泣いて、話し続けた。
私より9歳年下の弟は、もう57歳で、(白髪家系なので^^;)ほとんど総白髪で、
特に昨日は、招聘され登壇した帰りで、きちんとしたスーツにネクタイ姿だったのに、
昼食後、店を出る際、「トイレ大丈夫?」と、幼い弟に注意していた頃の口癖が出て💦、
弟も、反射的に、「うん。大丈夫。」と、子供の頃と同じ返事を返して、笑ってしまった。笑
弟と次に会うのは、年明けの母の三回忌法要で、
その際には、
【お父さん】や【旦那さん】や【叔父さん】や【大叔父さん】や【義弟】の顔を持つ、いつもの弟がやってくる。
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