人生のセトリ。
娘3人は、幼稚園・小・中・高とお弁当持参でした。
今朝、TLに、
「カレーにしたいけどカレーにすると明日のお弁当のおかずは1から作らなくてはならない…」
とのツイートが流れ、
そうそう! 私も同じこと思ってた^^・・・と懐かしかったです♪
当時は、夕ご飯の献立を考える時、翌朝のお弁当の準備が楽になるよう、
「お弁当への取り分け分」を常に意識していましたから、
カレーを夕飯にする際は、翌朝の「取り分け分なし」覚悟の上でした^^;
けど、ある日、ママ友から、
「タッパーの底にカレー敷いて、その上にご飯重ねるといいよ♪」と教えてもらって、
「お~!!」と開眼。笑
蓋を開けると、一見、「白米だけ」に見える 映えない^^;お弁当ですけれど、
カレーって、冷めても案外美味しいものだということも知りました。
3人分のお弁当作り、3人分の制服の洗濯とアイロンかけ、毎週末持ち帰る合計12足の上履きと運動靴を洗うこと・・・は、通常の家事に加え、欠かせない上乗せ項目で、
仕事も含め、いつも時間に追われ、「バタバタしてた」気がします^^;
「もう一人、私が欲しい!」が口癖だったなぁ・・・笑
子育て真っ最中の頃、今は亡き祖母に、
「1日24時間じゃ足りない。忙しすぎる。」
と愚痴を言ったら、
「忙しいってことは、誰かに必要とされてるってことよ。
忙しいうちが人生の華。
おばあちゃんみたいに、何をしててもいいよ・・・っていう毎日は寂しいものよ。」
と、諭されたことがありました。
祖母の言うとおり、「忙しい」のは、
誰かのために、自分の時間を提供しつつ、誰かとともに生きてる証で、
今の私は、時間を提供する対象が、4人から1人に減ったことで、
「何をしてててもいいよ・・・っていう毎日」に、ぐんと近づきました。
確かに、「滅私」とも思える^^;忙しさからは解放されたものの、
その見返りともいうべき寂しさは感じます。
けれど、祖母と大きく違うのは、
「人生の華は、忙しかったあの日々を最後に終わったわけじゃなく、今も別の形で続いるし、これからも続くはずだ」と信じていること・・・
大切な人のために自分の時間を費やした日々は、今思うと、確かに、大変だけど幸せな日々でした。
でも、自分のために自分の時間を使える日々もまた、スペシャルに贅沢な日々だと感じます。
そして、
そのどっちも経験した人生の最終楽章に、「自分のために時間を使える贅沢な日々」が配置されていることを、なんともニクイ^^セトリだと思っています。
渾身のカデンツァで締めくくりたいものです♪
・・・・昨夜は天丼♪
筍の天ぷらが美味しかったので、昨夜は衣を厚めに揚げて(タレを吸った衣が好きなので^^)、筍・春人参・舞茸・大葉の天丼を作りました。(夫は三杯おかわりしました◎о◎)
他は、鯖の塩焼きと、青梗菜と油揚げのお味噌汁でした。
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