俺と共鳴せえへんか?
「俺と共鳴せえへんか?」
今日のカムカム♪で、トミーが呟いたセリフです。
可愛いベリーちゃんに一蹴されましたけど^^;
元々は、織田作之助著の小説「夫婦善哉」の中で主人公が使う口説き文句で、
そのことも、ベリーちゃんに見抜かれていましたね。笑
普通に日常生活を送っていて、誰かに、何かに、共鳴できること・・・稀ですよね。
でも、音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり、山に登ったり、絵を観賞したりすると、
「あぁ・・この音、この言葉、響く・・」とか、「主人公の思いが重なる・・・」とか、
「木漏れ日に心が揺れる・・・」とか、「ラピスラズリの青に溶かされそうだ・・・」とか、
誰かに、何かに、共鳴している感覚を持つことが度々あります。
それはなぜなんだろう・・?って考えてみたんですけれど、
きっと、それは、フィルターのあるなしに関係しているのでは?と思いました。
日常生活を送る私たちは、【妻】だったり、【親】だったり、【子】だったり、【会社員】だったり、【主婦】だったり、【日本人】だったり・・というフィルターがかかった状態でいる時間が圧倒的に多く、
誰かや何かと、フィルターを通して対峙することになります。
親の立場としてはこうだ・・・とか、日本人として捉えると・・・とか。
けれど、音楽を聴いたり、絵を観賞したりしている時には、フィルターが外れた「素のまま」の自分でいられる・・・
だから、邪魔なフィルターを通さず、誰かや何かとストレートに対峙することで、共鳴する確率がぐぐぐっと上がるのではないかと思うのです。
お釈迦様が「人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいく」とおっしゃったように、
私達は皆、根源的な孤独を抱えていて、
だからこそ、誰かと、何かと、自分が共鳴している・・と感じる時、大きな幸福感に包まれるのだと思います。
昨日、マイペースの終活をスタートさせた私ですが、
この後の人生を豊かに送るために、「素のまま」でいられる時間や場所を広げていく工夫も同時にしていこうと、意を新たにしました♪
(昨日のブログに記した未来への希望の鍵となる「自分」も、フィルターを外した「素のままの自分」であるはずです。)
・・・一番長い付き合いの「自分」のために。
「ぼくは、きみの体。ずっと、一緒にいたよ。」と語ってくれた ぼく。
63年と5ヵ月、共に歩んでくれている ぼく のために、今朝準備した朝食です♪
ついこの間まで、「誰かのためにする料理は楽しいけれど、自分のためには手抜きになってしまう」のが常でした。
栄養バランスさえ良ければ、見栄えはどーでもよくて^^;、できるだけ簡単に・・・って。
でも、ぼく に諭され^^、一番長い付き合いの「自分」のためにも、ひと手間かけようと心改めました。
以前だったら、殻付きのまま塩を添えた小皿に載せるゆで卵は、粒マスタードとチャービルで和えて雑穀パンでオープンサンドに。
ポンカンも皮を剥いて作り置きの金柑ジャムをトッピングしました。
他は、オリーブオイル・クミンシード・ハーブソルトで和えた人参サラダ、蒸したサツマイモ、シラチャーソースをかけたチーズパン、ドライプルーン、お白湯、コーヒーです。
自分を大切にできている実感は心地よいです。
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