優しさは色んな形を持ってる。

優しさは色んな形を持ってる。







昨夜、遠方に住む友人からメールをもらいました。
ここ数年、前向きに、軽やかに、病と共存している友人。


時々知らせてくれる近況報告で、
彼女のペースで日々を楽しんでいる様子を知ってほっとしたり、
厳しい状況を何とか乗り切ってくれそうなことに安堵したり。


とても優しい人で、私が心配することを、きっと何より気に掛けていて、
一番つらい時を過ぎたタイミングで、「もう大丈夫よ♡」とハートマーク付きのメールをくれました。



今回は、便りがない期間が長かったこともあって、「会いたい。会いに行っていい?」と尋ねると、
「私がちゃんと元気になって、私から会いに行きます。」と言ってくれました。
嬉しい嬉しい約束です。



今朝、彼女のメールに返信したタイミングで、
三女から、手術加療を受けることになったとのLINEがありました。


付き添いに行こうか?と尋ねると、お婿さんが付き添ってくれるから大丈夫♪との返信でした。
でも、祈ってて・・って。



弟がかつて大きな手術を受けて、数カ月に及ぶ入院をした際に、それを母にも私にも知らせなかったことで、母が随分嘆いていたことを思い出しました。


「きっと心配させたくなかったから、退院してから報告してくれたんだよ。」と、
弟が母や私に向けて示してくれた優しさの結果だったのだと思うよ、と、母を慰めたのですけど、


あの時の母の嘆きは、実は同じく子を持つ親として、とても理解できます。
たとえ、心配するだけで、なんの協力もできなくても、
我が子がつらい思いをしている時に、自分はそれを知らずにいた・・・っていう事実は、なんともやりきれないものです。


娘たちが幼い頃に、怪我をしたり、注射をされたりして、「痛い。」って泣いてるとき、
「大丈夫。お母さんの手を握ってたら、お母さんが全部痛いの吸い取ってあげる。」って、
本気で思ってた感覚は今もあって、

現実的ではないと言われようとも、祈りや思いは、きっと愛するものたちを守ってくれるはずだと、当時も今も信じています。


だから、娘が、手術を受ける日時を教えてくれたことは、とても嬉しいことでした。
その時間帯、お仏壇の前で、母や父や亡き弟にも、総動員で応援してもらいながら、念を飛ばそうと思います。


そして、大変な時を乗り越えて、近況を知らせてくれた友人の優しさも、
本当に嬉しかった。
頑張ったね。これからも、いつも、胸の中でギューっと抱きしめてるよ。


この世には、いろんな形の優しさがあって、
どれが正解で、どれが不正解なんて、ない。


どれも、みな、あったかい。ありがとね。



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