叶わぬ想い。
お笑いタレントの大島美幸さんがめちゃめちゃ歌うまいの知ってる?と、
友人から送られてきたリンクで、久しぶりに、宇多田ヒカルさんの【ファーストラブ】を聴きました。
友近さんが歌をお上手なのは知ってましたけど、
大島さんが、これほどの美声の持ち主だとは!*_* 驚きました!
そして、久々に、名曲【ファーストラブ】を聴いて、
この歌詞に描かれている初恋の人への思いって、
今は亡き人を思う気持ちに、そっくり重なるなぁ・・・と気づきました。
自分の思いが叶わなかった失恋の痛みは、
二度と会うことが叶わない亡き人への思いと、とても似ている・・・
立ち止まる時間が動きだそうとしてる
忘れたくないことばかり明日の今頃には
私はきっと泣いている
あなたを思ってるんだろうYou will always be inside my heart
いつも あなただけの場所があるから
I hope that I have a place in your heart too
Now and foever you are still the one
私の心の中には、今も、これからも、あたなだけの特別な場所がある・・・
という表現は、そのまんま、今の私の気持ちです。
叶わなかった初恋と同様に、
誰かを愛し抜くってことにも、「これで満足」という到達点はなくて、
だから、愛する人を失ってしまった痛みは、いくつになっても、どの時点でも、
同じように心に刻まれるのかも知れません。
山田ズーニーさんが、「おとなの小論文教室」のエピソードで、この「叶わぬ想い」に言及していらっしゃいました。
「叶わない想いなら言ったってしかたないじゃん。自分もまわりもつらいだけじゃん。だったらそんな想い自分で押し殺すしかないじゃん。」と、もし中学生に言われたら、
「それでもおばさんは、その想い、書いて、表現するよ」とこたえるだろう。
「表現せずにはおられないんだ」と。叶わぬ想いを、表現するのだ。
俳句や短歌を詠む人なら、
言うに言えない自分の想いを五七五で、
あるいは五七五七七で。写真を撮る人は写真で、
絵を描く人は絵で、
日記を書く人は日記で、「想いを表現する」
ただそれだけで、叶わなくても、少し息が楽になる。
「これだ!」というピッタリの表現ができたとき、
想いは昇華される。
これまでは、仕事をリタイヤした年代で、俳句や短歌、あるいは絵画や写真などの趣味を始める人が多いことに、取り立てて意味があると思っていなかったのですけど、
きっとそれは、長く生きるにつれ、胸の中に蓄積される「叶わぬ想い」を、表現し、昇華させたい気持ちが、無意識のうちに取らせている行動なのかも・・・
ブログカテゴリーで、シニア日記が盛んなのも、そのせいなのかな・・・
そう思うと・・・、
俳句も、短歌も、絵画も、写真も、ブログも、
一人一人の叶わぬ想いの投影なのだと思うと、
そっと両手で包むような気持ちで、受け留めたいと思いました。
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