喪明けと、心ある人。
昨日の母の命日は、とんでもなく心千々に乱れる一日でした💦
改めて振り返ってみると、父も弟も急逝でしたので、祥月命日に一年前を振り返っても、「本当に知らせを聞いてびっくりしたなぁ・・」という記憶しか思い浮かばなかったのですが、
母の場合は、亡くなる前日に、「またね。」と別れて、その翌日夕方に、「血圧が下がって来ているようです。」という電話を受け、
急いで車を走らせたものの臨終には間に合わず・・・という経緯でしたので、
「一年前のこの時間には、まだ母は苦しい思いをしていたんだなぁ・・」とか、
「この時間に、私は、泣きながら、『間に合わなかった』と弟に電話したなぁ・・」とか、
夕刻から母が亡くなるまでの数時間を、刻々とリアルに思い出してしまって、
挙動不審な人・・になってしまっていました^^;
母が息を引き取った時間帯は、平常心でいる自信が無くて、
早めにお風呂を済ませ、ベッドに入り、Netflixのサスペンスアクション映画を、結構大きな音量でテレビ画面で観ていました。
そして今朝、晴れた冬の空を見上げて、
「一年前の今日は、母は苦しさから解放されて、父や弟と再会できた日」だと確認したら、
一気に心が軽くなりました。
私の本当の喪明けは今朝でした。
先日、フォローしている二重作 拓也さんのnoteを読みました。
ITが発達してみんながオンラインで繋がるようになった。それ以前とは違った世界。意識が物理的な距離を軽々と越える時代。
インターネットの黎明期、僕はワクワクしていた。それまで知らなかった人を知り、会えなかった人に会えるようになった。そういう意味では僕はITにエンパワーしてもらって今、ここにいる。
その一方で世の中の分断が加速してしまっている。もともとの分断が可視化したのもあるだろうけど、可視化が更なる分断を引き起こしている。歌詞化とか菓子化とか文壇なら、夢もカロリーもあるのに。・・・そんなくだらないダジャレを言ってる場合じゃない。
SNSで誰かの発信に文句を言ってみたり、アマゾンレビューで作品をこき下ろしたり、人を○○派と反〇〇派に分けてケンカを吹っかけてみたり・・・。
今日もネット上は、ネガティヴィティであふれている。まるで濁流のようだ。どんなに高潔な精神であっても、濁流の中で、清いままいるのは簡単じゃないだろう。
あとに続く人たちに、ひとつだけ心に留めておいてほしいのは、
「他の人の邪魔をしたり、誹謗中傷をしたりしている間は、自分の人生を生きていない」
ってこと。もし神様がいるとして
「あなたは〇〇さんを邪魔するために生まれてきた」
「あなたの使命は△△さんの悪口を言い続けることです」なんて言われたらどうだろう?それはきっと「あなたの人生の主役はあなたではない」と宣告されたようなものだ。
僕も誹謗中傷を受けたことは何度もある。確かに辛かったけど、心ある人で誹謗中傷をする人はいなかった。心ある人と出逢うと、心は必ず元気になる。
魂が死んでる人のことをゾンビというらしい。
少しでも早く自分の命の使い方が見つかりますように。
私自身、インターネットが繋いでくれたご縁には、幾度も幾度も助けていただきました。
けれど、このところ、インターネットのネガティブな側面を体感することが続き、
身動きがとりづらい気持ちになっていました。
でも、とってもシンプルに、「心ある人」とだけ繋がっていれば良いのですよね。
喪明けの今日、そう気づきました♪
私は今65歳だから、残りの人生は、せいぜい20年くらい・・・
残りの命の時間は、「心ある人」として、自分の魂を輝かせて生きていきたい。
「この人と一緒にいると元気になるなぁ・・」って思える「心ある人」とともに♡
こちらのブログ再開に際し、多くのメールを頂戴いたしました。
沢山の「元気」をいただきました。ありがとうございます。
全て読ませていただきました。
順次返信をいたしております。今しばらくお待ち下さいませm(_”_)m
↓半開きから、一夜にして全開したお仏壇の白百合たち。
この後、花粉をティッシュで取りました。
案の定💦、まっ白な花弁に花粉がこぼれてしまいました><
子供の頃から「花粉取り」が好きです。笑
花粉をこぼさず取り切るのって、かなりの集中力が要りますよね💦
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