悟り?^^;
母を亡くすまで、私は、自分自身の「死」について、
ちゃんと考えたことがありませんでした。
「死」を想像するって、ネガティブなイメージがあるでしょう?
そんな、縁起でもない事、考えてる暇があったら、「よく生きる」ことに集中しよう!って思ってたし、
それに加えて、
父の死も、弟の死も、早急すぎて、まるで災難みたいに思えて、
自分に重ねることが怖かった・・・ってこともあるのだと思います。
でも、時間をかけて、いろんな覚悟をしながら寿命を終えた母は、
私に、
【人生の最終章は、晩年ではなく、死なのだ。】ということを教えてくれました。
母を思う時、若かった頃の母、元気だった頃の母に加えて、
病に伏した母、自力で座ることが難しくなった母、棺に入った母、そして、今、小さな箱に収まって、来月の納骨を待つ母まで、
生前、死後の隔たりなく、私の中に存在を感じます。
お身内を亡くされた方は、皆経験されたことだと思いますが、
大切な人を失って、自分の中の一番敏感で柔らかな部分で悲しみに浸りきっていたい時に、
そこから一番遠くにあると思える脳細胞をフル活動させて、淡々と、理性的に、進めて行かなければいけない雑多で重要な手続きが、沢山沢山あります💦
そして、名残がつきないまま、片付けるべき遺品整理も始まります。
母の遺品の中に、真っ新で、何も書き込まれていないエンディングノートがありました。
おそらく、そろそろちゃんと記入しておかなければ・・・と思いつつ、体調不良となり、書き込むことができないままになっていたのだと思います。
A4サイズのしっかりしたノートには、「立つ鳥跡を濁さず」を実現するための、
様々な記録のページがありました。
このノートを活用すれば、私を見送った人たちが、雑多で重要な手続きのために費やす時間を、大幅に短縮することができそうです。
私は、私を見送った人たちの「やらなきゃいけない雑務」をできるだけ取り払って、
その分を、私との別れを惜しむ時間に使って欲しいなぁと願っています^^;
なので、母の形見分け?^^のエンディングノートを、しっかり完成させるつもりです。
先だってのブログ記事で、「死亡通知」や「遺影」の話題にも触れましたが、
「自分の人生を他人任せにはしない。」「自分の歩幅で歩いて行く。」
と、大見得を切って^^;、生きてきたのですから、
エンディングも、できる限りセルフプロデュースで完結させたく思います♪
・・・おまけ
↓こちらは、昨日のウォーキング途中で見上げた青空。
どっこにも、雲一つない、王道の青空でした。
この空くらい晴れ晴れとした気持ちで、「自らの死」を考えることができる今の心境は、もしかしたら「悟り」の片鱗なのかな・・?と感じています^^
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