憶測じゃなく実例

10月10日
午前中は、5月からスタートした国民のお務めを果たしてきた。
6カ月間の就任期間が今月で終了する。
心底ほっとしている。
最も避けるべきは、憶測で語る事。
人の意見は得てしてそう考える方が自然だという方に流れていく。
そこに想像や憶測があることを忘れて、大多数の意見を作り矛先を向ける。
けれど、どんな時も全ての出来事の本当を知っているのは本人だけです。
~~~『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』より抜粋~~~
48年間、死刑囚として拘留されていた袴田巌さんが、国と県を相手取り約6億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。
御年89歳。
人生の半分以上を死刑囚として拘束され、今もその後遺症が残る対価として支払われる金額は、どれほどの大金であっても、納得できるものではないだろう。
人が人を裁く事の怖さと、危うさを、繰り返し考えさせられた半年だった。
今日は母の月命日で、午後からお墓参りした。
雲一つない、真っ青の空。
吸い込まれそうだった。



今日もお願い事が山積み💦
一つ一つ頭の中で整理しながら、「お守り下さい。」とお願いした。
ジェーン・スーさん著『介護未満の父に起きたこと』に寄せた村井理子さんの書評が、すごくいい♡
介護って、人生の予習みたいなものだと思う。
誰だって、必ず老いていく。
どれだけ今は元気でも、どれだけ働くことができていても、自分ひとりでやれていたことも、誰かにお願いしなくてはならない未来は必ずやってくる。それでも希望はある。
四十代後半から介護を経験した我々が、その悔しさも、悲しさも、情けなさも、金も、愛も、死も、全部書き切って、マニュアルとして残していけばいいのだ。
妙に口が達者で、ついでに文章が書ける人間たちが後期高齢者となるまでに、何冊も書き上げておけばいい。そうすれば、「どうもあそこのババアが始まったみたいだな」「それならプランA『地域包括支援センター』だ」とか、「三丁目のジジイの手足が妙に細いぞ」「よっしゃ、プリンで摂取カロリーを無駄に上げに行こうぜ」とか、そんなことができる未来はたぶん来る。
本書はそんな未来のマニュアルの一冊になるはずだ。
糸井重里さんも、「老いと死について語ろう!」と呼び掛けて下さった。
老いや死について語ることをタブー視する時代は終わったのだと思う。
私は、もうすこし後年に生まれて、尊敬すべき「口が達者で文章を書ける人達」が残した、後期高齢者自らが語る「老い」や、「見送った死」についての数々の書籍を読んだ上で、母の最期に寄り添いたかった。
ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。
↓
にほんブログ村