整った日

母の月命日の今日がフラレッスンと重なったのと、
昨日は夫が早めに帰宅できるとのことだったので、
一日早くお墓参りした。
道中望む海は、昨日も穏やかに凪いでいた。

墓地の周囲の桜は、もう葉桜になりかけていて、
「葉桜って夏の季語なのよ。知ってた?」
と、夫に訊いたら、
「ふ~~ん。」
と興味なさそうだった。

お墓の周囲の敷石の継ぎ目に、小さな雑草が芽を出していて、
やっぱり春真っ盛りだよねぇ・・と安心(?^^)した。
「雑草と言う名前の草はありません。(すべての野草には名前があります。)」とおっしゃったという昭和天皇のお言葉が脳裏に蘇ったものの、
ごめんね・・・
と謝りながら(-人-)、草むしりした。
弔いの花は かならず捧げた者の方へ向く
~~~浄土真宗僧侶 本田武彦さんの note より~~~
確かに、花を供える時、「自分から見て、綺麗に見えるよう活けてるなぁ」と、初めて違和感を持ったので^^;
昨日は、花立の花を、空に向けて^^活けてみた。

お墓参りをしてきた・・・と言うと、
「親孝行ね。」と言っていただくことがあるけれど、
私がお墓参りをする動機は、
お供えの花の向きに象徴されるように^^;、「自分のため」だ。
父や母や弟や祖母や曾祖母や伯母(それ以外のご先祖様には会ったことがないので^^;話しづらい)と話した帰り道は、心が整う。
私にとっては、瞑想するより、サウナに入るより、有効だ。
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