最強の生き様。
昨夜は、次女夫婦と、クラフト生ビールの美味しいお店で夕食をとりました。
(桃のような香りのする美味しいビールでした♪)
昨日の私のブログを読んでくれていた次女が、
「ちょうど同じこと考えてたよ。
この生活の先には、何があるんだろう?
何を信じてしがみついてるんだろう?って。」
と言いました。
次女もまた、
沖縄で出会った圧倒的な自然に、これまでの価値観を揺さぶられたようです。
「雑草が強いのは、自分に適した土地に根をはってるからで、
自分が今いる場所が、自分に合ってる場所なのかどうか・・って、
すごく大事なことだよね。」と次女。
「そういう意味で、お母さんは、できれば小さなコミュニティに属して、
生涯、自分も誰かの役に立ちながら、
年老いた自分に負担の重すぎることは、誰かのお世話になる・・・っていう、
持ちつ持たれつの老後を送れたらなぁ・・・って夢見てる。」と私。
「でも、沖縄で、田畑を耕す人たちを、ただ、ニコニコ見守っているだけの、
車椅子のおばあちゃんがいて、皆が、おばあちゃんを大事にしてて、
おばあちゃんは何もできなくても、【そこにおばあちゃんがいる】っていうことが
皆の癒しになってるんだろうと思ったよ。
だから、誰かの役に立たなきゃ・・って、思う必要なんてないのかもよ。」
との次女の言葉に、
「役に立たなくても、そこにいるだけでいい」と受け入れてくれる【優しさ】を内包したコミュニティこそ、究極にして、最高のコミュニティだ・・・!と、自分が目指しているものの輪郭が定まった気がしました。
そして、同時に、その【優しさ】を作ったのは、【おばあちゃん】自身に違いなく、
地域であれ、家族であれ、
自分が長く生きてきた日々の中で、周囲に振り蒔いてきた【優しさ】の種が、
花開き、実をつけた結果なのだろうと思いました。
頭がきれる、とか、お金持ちだとか、力持ちだとか、人は、色んな強みを持てるけれど、
最強は、【良く生きた日々の堆積】で、
【良く生きる】とは、【優しさ】を循環させること・・・なのだろうと思います。
今、【良く生きる】ことが未来の幸せに繋がる。
それは、比喩でもなんでもなく、きっとその通り。
そう思うと、色んな不安や迷いが吹き飛んでいく気がします^^
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