欠けたものどうし。
今日は母の月命日でしたので、お墓参りをしてきました。
1月10日の祥月命日から、あっという間に過ぎた1ヵ月でした。
母はミモザの花をとても好きで、
毎春、お気に入りのミモザの木に、満開に咲いた黄色い花を観に行くことを楽しみにしていました。
昨年の初春にも、花屋さんでミモザの花を見かけると、お仏壇にお供えしていましたが、
今年も、もう店頭にミモザが出ている・・・という情報を友人から聞いて、
今日は、お墓にミモザを飾れるかも!と、期待していたのですが、
残念ながら、私が住む町では、まだミモザは手に入らず、
その代わり、産直市場で、可愛い梅の小枝を見つけました。
春らしいピンク色の梅と、同じく春を思わせるチューリップと、
ぱっと見、ミモザに似てる^^セイタカアワダチソウを、お墓に飾りました。
夫には「賑やか過ぎない?」と言われましたけど^^;、
ピンクの梅も、赤いチューリップも、明るい色が好きな母は、きっと喜んでくれているはずです。
夫と私がお墓に着いて、お墓を掃除して、お花を替えて、お線香を立てて、お祈りして・・と、一連の「お墓参りルーティン^^」をしている間に、
30代くらいのカップルと、70代くらいのおじいちゃんがお参りに見えたのですが、
カップルは、県外ナンバーの車でビューっとやってきて、足早にお墓の前で手を合わせて、あっという間に去って行き、
おじいちゃんは、ずーっと浪花節みたいな歌を口ずさんで、柄杓で汲んだ水をお墓にかけていました。
それぞれ、どんな繋がりのかたを亡くされたのだろう・・・と考えていて、
ここを訪れる人たちは、皆、誰かを亡くした人たちなんだなぁ・・と思って、
それから、改めて考えてみたら、普段、普通に笑顔で挨拶を交わしている人たちも、皆、一人残らず、自分のDNAが繋がる誰かを亡くしているんだよなぁ・・と、当たり前のことに気付いて💦、ちょっと驚きました💦
お墓で出会う人達(私も含めて)は、「亡くした誰か」の面影を求めて「ここへやってきたどうし」で、
だから、私には、どこか「欠けた」印象に映るのですが、
実は、この地球上の人達は、皆そうなんですよね。 「欠けた」ものどうし。
で、「欠けた」ものどうしの私たちは、時に、「こことここを合わせましょうよ」って、テトリスみたいに、手を繋いで、すとんと心を休める出会いに救われているのだと思います。
今日の夕焼け。
それぞれが呼び合って連なろうとしているみたいな雲。
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