残すもの
昨日は、生まれて初めて、生のバグパイプの演奏を聴いた。
会場が、四方に広く窓のあるカフェで、
窓外に広がる山や緑を眺めながら、9音のみで演奏される素朴な音色を聴いていると、
自分が音の風になって、飛んで行ってしまいそうな気持ちになった。
バグパイプに限らず、昔ながらの音色を残す民族楽器には、不思議な哀愁を感じる。
今は様々な楽器が身近にあり、また、そのための修練の場も多くあり、
コンペティションにより技術を競い合うことでステータスを確立することが王道であったりするけれど、
かつて、私達の祖先の生活の中で生まれた「楽器を奏でる」習慣は、
笑顔で会話をしたり、
一緒に食事をしたり、
寂しいと泣く人を抱きしめたりするのと同類の、日々の温かな営みの一つだったのだろう。
3000年の歴史を持つバグパイプの音を、いったいどれほど沢山の人達が耳にして、
心慰められたり、心浮遊させたりしたのか・・・
この頃、心動かされるものの背景には、
「過去にさかのぼって、同じように心動かされた人たちの思いがあるのだ」ということを、よく考えるようになった。
台湾のデジタル相も務めたオードリー・タン氏が、
私が考えるまともな先人とは、自らがこの世からログアウトするときに、自分がログインしたときよりも、もっと可能性に満ちた、より良い世界を残して逝ける人のことです。
と語ったインタービュー記事を読んだ時、
一体私は何を残していけるんだろう・・・💦💦と、凹んだけれど+_+;、
心動かされた私の思いが、この世のどこかに残り続けるのだとしたら、本望だ。
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