決意表明。
【け】決意。
このブログには、「だんだんと美しくなる人生」というタイトルを付けていますが、それはある意味、決意表明のようなものです。
残すところ、どんなに長くてもせいぜい30年ほどの人生を、「美しく生き抜いてやるぞ!」という決意表明・・・
裏を返せば、「自然体であれば、そのまま美しい人生を送れるよ・・・」ということなら、決意は必要ないわけで、「自然体のままにはさせないぞ!」という反骨精神がそこにはあります。
「親の背中を見て子は育つ」と言いますけれど、現在87歳で病床に伏す母は、身をもって「歳をとるとはどういうことか・・」を教えてくれている存在だと思えます。
私は母が24歳の時に生まれ、その後、20代から80代までの母の変化を目の当たりにしてきました。
私より二回り年長にあたる母の加齢による変化は、いつも自分の将来の姿に重なりました。
特に、美食家で運動が苦手な母が糖尿病を発症したり、膝関節を傷めて杖なしでは歩けなくなったこと、幾度かの手術を伴う大病に罹患したことなど、母が60代に入って以降立て続けに起こった変化には恐怖を感じ、当時30代後半だった私は、自分の老後を思い煩い、寝付けない夜があるほどでした。
ある日、実家で母の足をマッサージしていた時、
「私は歩くのなんて面倒くさい・・・って、どこへ行くにも車を運転していたけど、今になって悔やむわ。もっとちゃんと足腰鍛えていたら、今でも好きな時に好きな所へ行けたのにね・・・」
と母が言いました。
その時、「そうか!」と、一条の光が差し込んだ気がしました。
・加齢とともに起こる変化やダメージに好き勝手に主導権を握られないよう、自分の体は自分でコトンロールしよう。
・備えあれば憂いなし・・・の諺どおり、やがてくる変化に備え、ちゃんとコンディションを整えて行こう。
・老後を暗いイメージでとらえるのはやめよう。
と思いました。
そして、その後、実際に私自身が50代になって、目の下の腫瘍を切除する手術で顔に引き攣れが残る可能性を示唆された際、担当医から言われた言葉「ご年齢からして美醜は二の次、命が大事でしょう。」(←おそらく医師は良かれと思ってかけてくれた言葉だと思いますが💦)が楔(くさび)となり、
・「歳だから」を受け入れはするけれど、それを言い訳にしてあきらめることはしない。
・「だんだんと視野が狭まり萎んでいく人生」ではなく「加齢とともに登る山の高みから望む景色の美しさがだんだんと広がる人生」を送る。
ことを決意したのです。
「良く生きる」ことの意味合いの一つに、「自分の決意を実現していくこと」があげられると思っています。
今日も「良い日」を送り、「良い日」を繋げて、良く生きていきたいと思います。
・・・とっても簡単なビーツのスープ。
画像は、今朝の私の朝食に作った冷製スープです。
茹でたビーツ1玉、豆乳200㏄、コンソメスープの素小さじ半分をブレンダーで混ぜて出来上がり♪
ちょっと濃厚すぎたので💦、豆乳を足したら、一番下の画像のようにピンク色になりました♪
これを温めればホットポタージュスープになります。簡単で美味しくて、目も楽しませてくれて^^おすすめです。
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