無駄でもくだらなくても

無駄でもくだらなくても




12月20日



魚釣りが趣味の三女のお婿さんが釣り上げた太刀魚♪




孫と「初めまして」の挨拶を交わした後、




食卓へ・・・(魚料理はお婿さん担当♪)





↑こちらの、炙った太刀魚が載ったお皿は、
今年の三女の誕生日に、私達夫婦から贈ったもの。


今年から、誕生日のたびに、娘たちに食器をプレゼントすることに決めたのだ。



今から20年前の西方沖地震の際、
私は、ほとんどの陶器、ガラス器を失った。
大切にしていた想い出のグラスや大皿も割れてしまって、
かなりショックだったらしく^^;、その後胃潰瘍になったりもした💦

そのせいで、「また割れてしまう」ことが怖くて、
その後しばらくは、木やプラスチックの食器しか使うことができずにいた。

日にち薬で、
そのうちに丈夫そうな陶器のマグカップを使えるようになり、
徐々にグラス類も復活した。


地震の前と同じように、器を選び、料理を盛ることができるようになって、
改めて、料理する事を楽しめるようになった。


人生の機微とは無駄なところにあって、くだらないと思えることがないとしんどい。

~~~Tomohiro Kitamoto さんの X のポストより~~~




別に、わざわざ「割れ物」である陶器やガラス器を使わなくても、
食事を食べることはできる。
けれど、

割れない食器の方が安心でしょ?だからこれでok!

とはいかないのだ。


また割れちゃうかもしれないものを、わざわざもう一度買いなおして使おうとする、「無駄」や「くだらなさ」も含めて、
それが、人生の機微というか、自分を彩る文化になる。



「割れやすい食器を使うこと」は、もしかしたら「正しいこと」ではないのかも知れないけど、
「正しいかどうか」という判断軸とは別に、


「そうすることが楽しいかどうか」という軸があって、
その軸は、生きていく上で、とても大切で、あきらめちゃダメな軸だ。


だから、「生活を楽しむことを忘れないでね。」というメッセージを込めて、一年に一度、娘たちに食器を送る。



ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。
 ↓

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村