特別なこと

昨日ブログをアップして、
「こう見える」じゃなくて、「こう詠みたい」という気持ちで作句すればいいんだ!と、
一つ悟りを開けた(?^^;)ことで、
昨日の夜と今朝で、4句出来上がった。
残すところ、後3句。
ゴールが見えてきた(`・ω・´)

「水温む」という季語がある。
春になり川や池の水が温かくなる様子を表す季語で、
一昔前、井戸水や湧き水を普段の生活に利用していた頃には、
人々は、徐々に高くなる水温で、一番に春を感じていたのかも知れない。
蛇口をひねれば、水が出た。
そんな特別な瞬間は、多くの人の感動で満ち溢れていたはずです。
蛇口をひねれば、お湯が出た。
そんな特別な瞬間もまた、多くの人の感動で満ち溢れていたはずです。
ところがいまや、普通です。
お湯の温度が、上がらない。水圧が、弱すぎる。
特別は、いつしか普通になって。
普通は、いつしか不満になります。
~~~高倉大希さんの note より抜粋~~~
「特別」だったはずのことが、いつしか「当たり前」の「普通」になってしまう・・・
こういう慣れは、
生活環境のみならず、人と人との関わりの中でも起こりがちで、
当たり前だ・・・と思っていたことが損なわれたり、
普通だ・・・と思っていたものを失って、
それらがどれほど「特別」だったのか!を思い知る。
長く生きると、「当たり前」や「普通」を喪失する機会も増えて、
人はその分、自分が持っていた「特別なもの」の多さと、ありがたさに気付かされる。
幼い頃、よく当たる・・・と評判の占い師の女性が我が家へやってきて、
私の顔を見て、
「あぁ・・あなたは、歳を取ってから幸せになりますよ。」
と言われたことがある。
子供だった私には、おばあさんになってから幸せになる・・・ってことがピンと来なくて、
大人になってからも、そういう風に言われたことを忘れていたけど、
この頃よく思い出す。
占い師の女性に言われたとおり、
年々、
「失う」ごとに、
自分がどれほど「特別なもの」の恩恵を受けてきたのかに気付かされ、
その度に、私は幸せに生きてきたのだなぁ・・と感じている。
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