確信

9月6日
昨日の夕空。
魚がスイスイ泳いでるみたいな雲が出ていた。

夕飯は、
夫に、「何だったら食べれそう?」と訊いたら、
「冷しゃぶ。」
と答えたので、具沢山の山盛り冷しゃぶにした^^;
(豚肉が埋もれてしまって💦、ただのサラダみたいになってる。笑)

私は、金継ぎの先生から教えていただいて以来気に入っているジン(桜尾)のロックをおともに♪
そういえば、じぶんもかつては、
「もののあはれ」なんて、なんのこっちゃと思っていた。
もともと、「もののあはれ」にしても
「わび、さび」みたいな価値観にしても、
一部の人たちはそれを、
なにかありがたいもののように尊ぶけれど、
若い人は、「なんのまじないだ」くらいに思っていた。
いまの時代だけでなく、昔の時代でもそうだったろう。ただ、ぼくは、毎日を積み重ねて生きているうちに、
そのわけのわからない「まじない」みたいなことばが、
「そういうものはあるような気がしてきたぞ」、
というくらいになってきていた、知らず知らずのうちにね。
「わび、さび」や「もののあはれ」について、
探求していこうというほどの意気込みはないし、
そこに基準をおいてなにかを否定するつもりもない。
しかし、「もののあはれ」という
なんとも説明することもむつかしいような
「こころのありよう」を、じぶんや他の人たちのなかに
「そういうのはあるなぁ」と感じることが多くなっている。
「もののあはれ」も、「わび、さび」についても、
先人たちがよくぞ見つけてくれたものだと感心している。
以前に、糸井重里さんの「今日のダーリン」に記されていた一文。
「もののあわれ」と同意の表現に、サウダージというポルトガル語がある。
【サウダージ】
「郷愁、憧憬、思慕、切なさ、愛」といった複数の感情が複雑に絡み合った、失われたものや遠い過去に対する深い思慕や追憶を表す言葉。
単なる「郷愁」や「懐かしさ」だけでは言い尽くせない、温かい思い出や追憶の中に存在する甘美な悲しみ、そしてもう叶わないことへの切なさや憧れを含む。
糸井重里さんがおっしゃるように、
私も若いころには、なんのこっちゃ?💦と思っていた^^;
けれど今は、私の心の内の、何%かは、「もののあはれ(サウダージ)」が占めている。
歳を重ね、過去や思い出が増えるにつれ、そのパーセンテージは上がっていくのだろう。
「もののあはれ」という「こころのありよう」を、
自分だけじゃなく、
同じように歳を重ねてきた人達が、それぞれのうちに持っているのだ・・・という確信は、切なく、優しく、心強い。
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