記録>記憶?
9月19日
数日前に、ネット注文していたノンフィクションが届いた。
考えてもどうしようもないことで、頭の中がグルグル渦巻いているように思える時は、
一旦、本の世界に逃避することが、とても有効だ。
このところ連夜、私は、ニューヨーク市検視局のブッチャー医療調査官と一緒に、事件現場に出向いて夜更かししている^^;
明日は内科検診の日。
担当医が、若くて、アプリを駆使するタイプなので^^;、
私の血圧、脈拍、一日の歩数は、随時、共有されている。
ただ、ここで問題があって💦、
私は、夫にあきれられるほど、携帯を不携帯する人で💦、
在宅時も、ほぼほぼベッドサイドに置きっぱなしだし、
外出時も、持たずに外出することが多くて、
そのため、「一日の歩数 23歩」だったりする💦
「ちゃんと歩いてますか?」
「はい、歩いてます。」
の会話が、明日も繰り返されることだろう+_+;
今、夢中になって読んでいる『死体と話す』の中に、
警官が懐中電灯で死体を照らす間、わたしはせっせと写真を撮った。
不気味だった。
暗闇で作業するのは好きではなかったし、必要以上に長居するつもりはなかったが、遺体と部屋の状態をくまなく記録しなければならなかった。
弁護士がよく言うように、「記録しなければ、それは起きなかったことになる」からだ。
という文章がある。
事件現場で証拠として記録するような厳格なものではないけれど、
私達の生活の中でも、
スマートフォンの普及により、体験したものごとを、画像やデータで「記録する」ことが、とても容易くなり、日常的になったことで、
反面、「記録しなかったこと」が、「起きなかったこと」にされてしまうリスクも増えた気がする💦
以前は、問診で、「一日どのくらい歩いてますか?」「30分くらい歩いてます。」で、済んでいたことが、
「一日の歩数 23歩」と記録されることで、「ほんとに歩いてる~?」と、冗談ぽくではあるけど^^;、疑われる・・・みたいな・・・^^;
これから、もっと、どんどん、そういう風潮に拍車がかかって、
「実際の体験」よりも「記録されたもの」の方が信用される世の中になるのかな・・・
自分の言葉で、自分の脳内にある記憶を伝えることが軽んじられていくのは悲しいな・・・
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