贈られた言葉

今日、長女と長女のお婿さんが、大学院を卒業した。
フルタイムの仕事と子育てをしつつ大学院で学ぶ決意を聞いた時には、
驚きもしたし、過労を心配したけれど、
当時まだ存命していた私の母(長女にとっては祖母)はとても喜んでいた。
午前中に行われた学位授与式に、長女は、祖母に譲られたブローチを胸に出席した。


授与式はオンラインで配信され、私も学長の祝辞を拝聴した。
その中で語られた【ネガティブ本能】と【分断本能】が、
まさに、今の世界情勢の根源にある動機に思えた。
自らを守るために、リスクに目を向け、起こってもいないことを憂い、警戒する【ネガティブ本能】
先進国と途上国、貧困層と富裕層、勝ち組と負け組・・・
自分が落とし込みやすいように、世の中を分断して解釈しようとする【分断本能】
どちらも、敵対を生みやすい思考だ。
けれど、先ず、大前提として、日常で「うまく回っていること」はニュースにならないだけ・・・
つまり、
飛行機の墜落事故はニュースになるけれど、
無事に飛行機が着陸したことはニュースにならない。
だから、目に、耳に入るものは、悲惨な情報が圧倒的に多くなり、
「ネガティブ本能」が常態化してしまう💦
また、二項対立的に【分断】されたものの間には、
0と1の間に、無限の数字があるのと同様に、
無数の【中間】がグラデーションを成している。
ニュースになることもないまま、つつがなく成し遂げられている日常の営みに目を向け、
いっぱい、いっぱい、素敵なことがあるなぁ・・・と、【ポジティブ本能】を育て、
敵か味方か、に分断するのではなく、
その間に広がるグラデーションのどこかに、共通項を見いだせるのではないかと、【繋がる方向】を模索することが、
これからの世界を担って行く若者に課されたミッションなのだろう。
贈られた言葉は、あたたかく、厳しかった。
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