追いつかなくてもいーのだ。
昨日、郵便局の駐車場で、車を出そうとして、料金支払い機に駐車位置ナンバーを入力すると、
(入庫した際に受け取ったカードを窓口に提出すると、1時間無料サービスをしてもらえるタイプの駐車場でした。)
「カードをお受取り下さい」と表示され、カードが戻ってきました。(本来は吸収されます。)
「ん?なんで??」と思い、念のため、駐車位置ナンバーを確認に行くと、
私の隣に停まっている車の傍にいた高齢の男性が、「精算したのに、壊れてて鉄板が下がらない。」と、独り言のような、私に訴えているような、どっちつかずの感じで言われたので、
私も車体の下を覗き、「ほんとだ。下がってませんね・・・」と同意して、
ふっと、私の車の下を見たら、私の車の下の鉄板が下がってました💦💦
「あ・・・ 駐車位置番号、間違えて、私の駐車料金を精算されたようですよ^^; 今から、私が、こちらの車の料金を精算してきますから、ちょっと待ってて下さいね。」
と、慌てて引き返して、お隣の駐車番号で清算すると、
「ありがとねーーー! 下がった下がった!」と、窓から笑顔で手を振りながら、おじいちゃまは出庫して行かれました^^;
その後、マンションに戻り、駐車場側のドアからエレベーターホールに入ろうとしたところで、数メートル後ろに、キャリーカートにショッピングバッグを入れ、肩に、もう一つ、花の鉢の入ったショッピングバッグを下げた高齢の女性が歩いて来られるのに気付き、
ドアを開けて待っていたら、
逆に慌てさせてしまって💦、躓いてよろけた拍子に、花の鉢を入れたショッピングバッグを落としてしまわれました。
「大丈夫ですか?」と駆け寄って、ショッピングバッグを拾い上げると、素焼きの鉢がひび割れているようで、でも、薄紫の紫陽花の花は無事でした。
「ありがとう。はーーー、びっくりした。年取ると、足がもつれてねーー。」と笑いながらショッピングバッグを受け取ろうとされるので、「重いから、私持ちますよ。」と、お宅の玄関まで送り届けました。
父は若くして亡くなったので、溌溂と暮らしている親も、時を経て「老人」になるのだ・・・と、身をもって教えてくれたのは母で、
母と同世代の方達が、見当違いのことをしてしまったり、色々不自由なご様子を見かけると、
すぐに「助けてあげなきゃ💦」というスイッチがオン!されるのですが(笑)
そういう時、「やらかしちゃった~」という感じで、笑い飛ばされると、安心するというか、
お手伝いできて、安心してもらえて良かった!と、心から思います。
けれど、とっても恐縮されて、「ごめんなさい。」と頭を下げられたりすると、
困ったな・・・という気持ちになります^^;
私も含め、誰しも、やがて「助けられる側」になるわけですから、お互い様。
だから、「ごめんなさい。」と謝るのは違うと思うのです+_+
間違ったからと自分を責め続けるのではなく、
済んだことは済んだこと。
間違えたら直す。それでも間違えたら直すの繰り返しです。
どんなに頑張っても追いつかないなあって諦めながら、笑いながら過ごすのがいいと思います。
Twitter のTLに流れてきた精神科医師の言葉です。
どんなに頑張ってみても、追いつかないなぁ・・・と、諦めていくこと、
きっと、この先、歳を重ねるごとに、日常生活の中で、沢山体験していくことになるのでしょう^^;
でも、その都度、間違った自分を責める方向じゃなく、
「はぁ・・またやらかしちゃったわ。ちっとも追いつかないわ。」と、笑いながら過ごせる人でありたいな・・・と思います。
それって一見簡単なようで、完璧に実践するには難易度高い気もしますけど^^;、
でも、「追いつかなくてもいーのだ」って、お守りみたいに^^、心の隅に置いとこうと思います。
七夕の日の仏花は、パイナップルリリーとドルーチェとカーネーションです。
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