金継ぎと谷川さん。
昨日は、娘から頼まれたお皿を修復しに、金継ぎの先生のお宅へ行った。
細かく割れた部分をパズルみたいに組み合わせて、全体象を確認しながら、
一度限りの命しか持たない私が、
こうして、ばらばらの破片になった陶器を蘇らせようとしている・・・ことが、
すごく不思議な気がしてきて、
そうか・・私が死んじゃった後も、この蘇ったお皿は残り続けるのかもねぇ・・・と、
ちょっと敬虔な気持ちで考えたりしていた。
そうしたら、
今朝のニュースで谷川俊太郎さんが亡くなったことを知った。
谷川俊太郎さんは、数えられないほど多くの、深い言葉を、詩を、物語を、遺して逝かれた。
中でも、『魂のいちばんおいしいところ』は、私にとって、特別な詩だ。
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどないものに逆らってそうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
母の生存中にはわからなかったけれど、
母を亡くして、
母は私に、魂のいちばんおいしいところをくれたのだ・・・と気付いた。
谷川俊太郎さんが「死」をテーマに綴った『かないくん』という物語が絵本になって、2014年に出版された。
その絵本の中で、谷川さんがご自身を投影していると思われる「絵本作家のおじいちゃん」は、幼くして亡くなった友人のことを書こうとして、でも、「死」をわからない自分には書けない・・と孫娘に語り、
孫娘が、「長く生きていても、わからないことがあるなんて素敵」だと応える。
この一連のやりとりは、晩年の谷川さんの死生観そのものだったのだろうと思う。
亡くなる2週間前に受けたインタビューの中で、
「最近興味を持っていることは何ですか?」と問われた谷川さんは、
「死ぬことですね。もう92年生きてきたから、生きることはわかったような気がするんだけど、死ぬっていうのはどういう感じなのかな。想像してみるんだけど、困ったことに死んでみないとわからないんだよね。」
と答えている。
そして、「生まれたよ ぼく」という詩には、
生まれたよ ぼく
やっとここにやってきたまだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえてないけどぼくは知ってる
ここがどんなにすばらしいところかだから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが幸せになるのをいつかぼくが
ここから出て行くときのために
いまからぼくは遺言する山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしいそして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい
と綴られている。
この世に生まれ、
自分の人生を生き、
愛を受け取り、受け渡すことをし、
わからないことはわからないままに命を終える。
谷川さんが示してくれた「生涯」だ。
私はまだ人生の途中だけど、
谷川さんに倣って、自分の人生を生き、受け取った愛を、受け渡していこうと思う。
そして、あの谷川さんだってわからなかったのだから、「わかんないなぁ・・」と思ったまま死を迎えて良いのだ・・と思えることにほっとしている。
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