雑多で雑食

雑多で雑食






9月24日



先日訪ねてくれた友人のお土産=博多川端ぜんざいをおやつにいただいた。








元来甘いものが得意ではなくて💦、
嚥下が下手なので、普段はお餅も食べないようにしているのだけど💦、




昔、娘たちが好きで食べてたなぁ・・・、母もぜんざいが好物だったなぁ・・・、と、懐かしかった。





スポーツ医学専門医の二重作 拓也さんが、

「走る」をやめてしまうと、「走るがゆえに享受できる感覚の入力」がゴッソリと失われてしまう。
これは脳で構築する世界がひとつ消えるようなものだ。
そのことに自覚的でありたい。



とXにポストしていらして、
こういう風に考えたことがなかったので、ひやっとした。




自分の生活の中から、「何かを排除する」ということは、
その、排除したもののみならず、そのものを認識し、あるいは使いこなし、あるいは味わっていた感覚もまた、失っていくことになるのだとしたら、怖い。





子供たちも独立し、会社勤めも辞めたことで、
自分本位な選択の幅が広がって、


今の生活は、「自分自身が望むものごと」の割合がとても高くなっている。


シニア世代の「憧れの生活」として、メディアに紹介されるライフスタイルも、
「自分の心地よさにこだわった結果こうなりました」
という、それぞれの生き様がそのまんま反映されたものが主流だ。



それは、それで、とても素敵で、参考になるのだけど、



今日のおやつに、何十年も口にしないままだったぜんざいを食べて、

「そうかぁ・・ こういう味だったよねぇ・・・」と、

自分にとってはアウェイのものを組み込む新鮮さも良いな♪と感じた。



「自分の好きなもの」だけに視点を据えて、その他を排除していくスタイルは、
二重作さんがおっしゃるところの【脳で構築する世界】を潰していくリスクを合わせ持つのかも知れない。



もう少し雑多で、雑食で^^;、「なんだこれ?」という刺激も時々受けながら、脳が構築する世界を広く保つ生き方も良いかもなぁ・・・と思う。



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