103歳の説得力。
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人は、用だけを済ませて生きていくと、真実を見落としてしまいます。
真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の言葉のように、求めているところにはありません。
しかし、どこかにあります。
雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。
無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられていますから、兆しには気がつかないものです。
無駄はとても大事です。
無駄が多くならなければ、だめです。
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。
私は、3万円だと思って買ったバッグが30万円だったことがありました。
ゼロを一つ見落としていたのです。
レジで値段を告げられて驚きましたが、いい買い物をしたと思っています。
何十年来とそのバッグを使っています。
そして、買ってしばらくしてから、そのバッグの会社オーナーが私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、あらお互いさまね、と思いました。
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2 の人生です。
無駄のある人生は、1+1 を10にも20にもすることができます。
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
時間も無駄にしています。
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。
つまらないものを買ってしまった。
ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄はよくなる必然だと思っています。
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以前の記事でも触れた 美術家・篠田 桃紅さん著「一〇三歳になってわかったこと」からの抜粋です。
この後、篠田さんは、103歳のうちにもう一冊、そして105歳で二冊の本を上梓され、
107歳で亡くなられた年に、最後の著作「これでおしまい」を出版されました。
私は今63歳で、篠田さんがこの文章を書かれた103歳より40歳年下です。
若造(?^^;)の私は、まだ「無駄の大切さ」をちゃんと理解するところまで行きついていません💦
でも、篠田さんがおっしゃるように、
「真実は求めているところにはない。
けれど、どこかにあって、
無駄にこそ、その兆しが隠れている。」
のかも知れない・・・
と、ぼんやり感じています。
「よく生きる」って、本当に複雑で深いなぁ・・と思います。
でも、そこが面白みですよね。
公式みたいに、いつも 1+1=2 じゃないから、夢を描けるし、希望を持てる。
なかなか難関ですけれど、大先輩^^のお言葉を信じて、
この先は、「無駄を楽しむ気持ち」も育てていきたいと思います♪
103歳の頃の篠田さん。
100歳を超えてなお、人生は美しく、楽しめるものなのだと、勇気をいただけます♪
・・・昨日のおやつ。
恒例の^^;、なんちゃってパフェを作りました。
時々、無性にパフェが食べたくなるのですけれど、
パフェにありがちな山盛りの生クリームが苦手で💦、
自家製のなんちゃってパフェを作ることが多いです。
昨日は、苺パフェが食べたくなって、
苺・ソイヨーグルト・蜂蜜・発酵バタークッキーで
即席パフェを作りました。
パフェに形は似てるけど、内容は単に、苺+ヨーグルト+バタークッキーです^^;
でも、この「パフェ風の盛り付け」が重要で(笑)、
大満足なおやつでした♪(もしかしたら、「無駄」を楽しめているのかも^^)
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