手札
先日、こちらのブログで触れた
「見かけたけど、見失ってしまったXのポスト」を、再度見つけることができました♡
本づくりのお仕事をされている【編集者】さんというアカウント名のかたのポストでした。
予備校の頃、いつも淡々と講義をしていた古文の講師が唐突に「歳をとるとは可能性を失ってゆくことですが、その失った可能性に呪われず、潔く手放しながら残った手札でいかにやりくりするか。それが生きるということだと思います」と語り、また淡々と授業に戻った。あの数分は教育だった。
本当に。
まさに人生訓であり、一回性の生を生きる私達への教育ですよね・・・
【失った可能性に呪われず・・】って、ものすごく大事なポイントだと思います。
ついつい失ったものに視線が行ってしまうのは、
人間の本性と言うか、「性(さが)」でもあるのだけど、
でも、失ってしまったものに支配されると、やがて人生をあきらめてしまう・・・
〇〇のいない人生なんて意味がない。
△△なくして、生きる意味なんかない。
みたいに。
「人生をあきらめない」って、言葉にすると簡単ですけど、
強い覚悟の要ることだと思うのです。
だから、
「なにがあっても、人生をあきらめず、手持ちの札で生き抜く」
と誓うことは、「よく生きる」ための第一歩であり、ベースでもあると思います。
いっぱいグズグズ言っていいし、
「はぁ・・・もうダメだ・・・」って弱音を吐いていいし、
「寂しいよ~」「悲しいよ~」って泣くのもokだけど、
でも、決して「人生をあきらめない」
かけがえのない大切なものを失ったとしても、
残った手札で行くぜ!って、荒野を進むファンキーでハッピーでアウトローな(←前々回の記事をご参照下さい^^)ばあちゃんでいたいと思います♪
昨日は、弟の月命日で、翼を広げた鳥のような極楽長花をお供えしてきました。
母の最期の時に、「なんであなたがいないのよ!いてあげてよ!」と、何度も弟の遺影に詰め寄った私は、多分、人生最後の、手札にない「ないものねだり」をしたのだと思います。
(困らせちゃったな^^;・・・と、反省しています^^;)
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