節分と言葉

節分と言葉






2月2日



節分なんだけど💦、
恵方巻も、豆も準備せず💦、



ワイン会の仲良しさんから、「私が一番好きなワインだから飲んでみて♪」と、プレゼントしていただいた白ワインを味わいつつ、夫のリクエストのポトフを食べた。



「歳取ると、アウトローでも許される老人力が身に付いてくるよね・・」
と、よく夫が言うのだけれど^^;、
確かに、
「こうあるべき」とか「こうじゃなきゃ」みたいな、枠組みから、
シニア枠は、別格として扱われることが多くなるなぁ・・という実感がある。



幼い頃、「おまめ」扱いされて、鬼ごっこや隠れんぼで、「決して捕まらない優遇枠」を許されていたのと同じ感覚だ。



だから、今日も、私達老夫婦は^^、恵方巻も食べず、豆まきもせず、美味しいワインをいただいている♪





日中も、寒さに負けて💦、家籠りしていた。



もともと、ヒッキー(引きこもり)体質なので^^;、
本を読んだり、録画していたドキュメンタリーを観たり、
(裁縫が苦手なので^^;)延ばし延ばしにしていたボタン付けをしたりしていると、
あっという間に日が暮れる💦
(そういう休日も、とても好きだ。)




今日観た「NHKスペシャル アウラ 未知の部族 最後のひとり」は、
アマゾンの奥深くに暮らす、文明社会と接触したことのない未知の先住民の最後の一人=アウラの記録で、彼の話す言葉は、どの先住民とも異なる未知の言語で、理解できる者は誰もいない。



かつて、中島らもさんの小説『ガダラの豚』を読んだ時、
「言葉は、自分の魂を引きちぎって相手に投げつけることだ」
と記された一文に心奪われ💦、以来、自分が発する言葉は、私の魂の一部なのだ・・という覚悟を持ち続けている。



だから、その「言葉」を、世界中で誰一人理解してくれない境遇にある自身を想像すると、筆舌に尽くしがたい恐怖と孤独を感じる。




「この人の話し方、使う言葉、伝え方が好き」と思える人が周りにいてくれることって、とっても幸せだ!


~~~Xでフォローしている woru さんのポストより~~~



私達は、
失ったものの大きさには気付けるけれど、
常時「在る」ものの有難さには無頓着になってしまうから💦、
「自分の言葉が通じる」ことの恩恵を感じることなんて、
ほぼほぼない日常を送っている。



でもね・・・
何の懸念もなく、言葉を発し、綴ることができて、
それを、「あなたが言いたいこと、伝えたいことを、ちゃんと受け留めたよ。」と、キャッチしてくれる人の存在ほど、ありがたく、温かいものはない・・・て思う。



私の発信を、私の言葉を、その真意のとおりに、読み取って下さっている皆様、ありがとうございます♡



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