64歳の娘。

64歳の娘。










昨日、母にリクエストされた柿を届けました。



「すぐに食べてみる?」と聞くと、頷いてくれたので、

2種類の柿を、それぞれ1/4ずつ、幅2ミリくらいの薄いスライスにしました。




母はベッドの背を起こし、小さなフォークで、ペラペラの一枚ずつを、
「美味しい。」と言いながら、ゆっくり完食してくれて、


「全部で1/2個、食べれたよ。よかったね!」と言うと、笑顔を見せてくれました。





娘たちが小さな頃、
体調を崩すと、すりおろし林檎ではなく、ペラペラに薄くスライスした林檎を食べさせていました。

食欲がない時でも、極薄の林檎だけは、「美味しい」と食べてくれました。



昨日、そのことを思い出しながら、薄く薄く切りました。








先週図書館で借りた 川村元気さんの著作「四月になれば彼女は」は、

「愛すること」がテーマの小説でした。








私は、今まで、愛って不変で、
「愛されてる」か「愛されてない」かの どちらかに分けられるものだと思っていました。





でも、川村元気さんは、小説の中で、

愛は【月と太陽が重なる日食のような一瞬の奇跡】だと表現されていました。

そして、
その一瞬が過ぎたとしても、
その瞬間があったことが、生きることを輝かせてくれて、
残像のカケラを拾い集めるように生きて行くのだ・・・と。







私は、母に愛されている実感のないまま育ちました。




幼い頃の私は、
母が、長男として生まれた今は亡き弟や、その後に生まれた末っ子の弟だけに向ける笑顔やスキンシップを、
「弟たちは幼いからだ。」「私はお姉ちゃんだから、二人とは違うのだ。」
と、自分なりに理由付けして、受け入れていたのですが、




ある日、父の友人が、「可愛いお嬢さんで・・」と私を誉めて下さった後、
「どこが可愛いのか私にはわからない。」と、母に真顔で言われ、
父方の祖母(母にとっては、折り合いの悪い姑でした💦)にそっくりな私を、母は嫌いなのだろう・・と、子供心に悟りました。




とはいえ、一人きりの女の子でしたので、身なりにも気を配ってもらえましたし、
弟二人の面倒をよくみるお姉ちゃん・・・として、頼りにもしてくれていました。





そんな母との関係は、
私が母の孫にあたる娘たちを出産したことに加え、
父、上の弟と、母の愛する家族が亡くなったことで、
少しずつ変化していきました。

「母の視界に私が入っている」と感じることが多くなりました。






昨日、幼い頃の娘たちのように、薄く切った柿を食べる母を見ていて、




ずっと、「愛されてない」と思っていたけれど、
「愛すること」は、きっともっと複雑で、




こうして、私が切った柿を、母が美味しそうに食べてくれる瞬間に、母と私の思いは日食のように重なっているのかも知れない。

そうだとしたら、ちゃんとそのカケラは、これからも二人の間に残るのだ・・と思いました。





母と私の愛は、少し歪なものなのかも知れませんが、
それでも、川村元気さんが、「それも愛」だと定義して下さったおかげで、

64歳にして、ようやく、堂々と、「娘」として、母の傍にいる権利を得られたような気がしています。




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