生きてる。
3月10日に三越本店で購入した器(土嵐)を、昨日、作家の三輪太郎さんが、ご自身で届けて下さいました。
寛文3年(1663年)より、御用窯として脈々と受け継がれてきた伝統を守る使命と、
独自の表現を成就させる使命と、
二つの重責を背負いながら、「そもそも、土とはなんぞや?」に立ち戻るところからスタートした太郎さんが生み出した【土嵐】には、
遠心力を受けて広がる炎のような猛々しさとともに、土の中からひょっこり顔を出した小動物のような愛らしさの、両方の景色が見えます。
(そして、私には、どうしても、星の王子様の冠も重なります^^)
我が家は、シニア世代の私達夫婦と、あとは、もう、あちらの世界に行ってしまった両親や弟や祖父母たちの気配があるだけの、
静かな気が漂う空間だったのですが、
新しく、生まれて間もない【土嵐】を迎えたことで、一気に、室内の空気が活発になったような気がしています。
遠路はるばるお越しいただいた太郎さんに、娘と、真奈ちゃんが送ってくれた野菜で、昼食を召しあがっていただきました。
食卓には、真奈ちゃんが同梱して下さったお花も飾りました。
食事をしながら、私達の質問に、一つ一つ丁寧に答えて下さり、
土のこと、登り窯の火入れのこと、釉薬のこと、萩焼の歴史など、
全く知らなかった焼き物の世界を垣間見せていただきました。
「一度も反抗期なく、後を継ごうと思われたのですか?」
と尋ねると、
「子供の頃、登り窯に火が入り、大人たちは夜通し火の番をしていて、でも、僕は寝なきゃいけなくて、それがすごくつらかった。早く大人になって、あの仲間に入りたいって、ずっと思ってきました。」と笑っていらっしゃいました。
以前、山田ズーニーさんが、
生きる上で、【自らが持つベクトルの向き】について語っていらしたことがあって、
何を見て、どこへ行こうとして、どう過ごしているのか・・・
そのベクトルが一貫してぶれないことが、どれほど難しいことか、を痛感したのですが、
お話を聞いていて、
太郎さんは、生涯、ぶれないベクトルを持ち続けて、第二、第三の【土嵐】を生み出されるに違いない・・・と確信しました。
この週末は、真摯に生きる人達の情熱に圧倒された二日間を過ごしました。
生み出された陶器からも、野菜からも、
もしかして、生み出した人のDNAを継いでる?と思えるほどの生気を感じます。
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