美しく生きる
車の定期点検をしてもらいに、ディーラーへ行ってきた。
特別問題はなかったのだけれど、先日、夫が長距離運転した折に、
随分狭い山道も走ったようで、
車体の低い部分に、細い小枝で擦ったような傷が、前から後ろに続いていて、
担当して下さった若い整備士さんが、
「これ、擦って消えるようなら、塗り替えなくても良いので、擦ってみますね。」
と、研磨して下さった。
1時間ほどの作業を終えて、
「見てもらって良いですか? 取れるところは全て取ったんですけど、よく見ると、少しだけうっすら残ってる部分があって・・ でも、これ以上擦っちゃうと、今度は磨り跡が残ってしまうんで・・・」
と、申し訳なさそう頭を下げられたので、
「すごい!すごいですよ♪ 本当に綺麗。 確かに、よーーーく見ると、線があるかなぁ・・って思うけど、でも、時間をかけて擦って下さった記念の跡だなぁ・・って思うとありがたいです^^」
と、こちらも頭を下げた。
本当にそう思った。
傷一つない車は確かに綺麗だけど、
たとえ傷つくことがあっても、その傷が、温かな想い出に繋がるのであれば、それは、残念な傷じゃなくて、愛しい傷だ。
以前乗っていた車も、ベビーシートに座った末娘が噛んだ歯型が、窓枠についていたり^^;、
サファリパークでアフリカ水牛に頭突きされた傷がバンパーについていたりした。(サファリパークは車の修理費を負担すると言って下さったけれど、「いえいえ!記念ですから、このままにしておきます♪」と辞退した。笑)
同じ車種・同じ年式・同じ色の車は無数にあるけれど、
懐かしい思い出に繋がる傷をつけた車は、我が家の車一台きりで、
つまり、オンリーワンの特別車だ^^
生きることも、同じだなぁ・・と思う。
長く生きていると、心にも体にも色んな傷跡があって、
もちろん、じくじくと辛くて痛い傷は、そうっと抱きしめながら癒える日を待つのだけど、
でも、それらの傷は、いつの日か、私が私であることの証になる。
時には、自分だけの力で癒すことができず、車の傷を研磨してくれた彼のように、誰かがそっと手当てをしてくれた傷もある。
「美しく生きる」ってことは、傷を作らぬよう賢く生き抜くこと・・・じゃなくて、
自分に残る幾多の傷跡を、「美しい傷跡だ」と愛せる生き方なのだと思う。
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