「いのち」を使う

9月2日
昨日は、日ごろお世話になっているかたの退院祝いに行ってきた。
術後の回復も順調とのことで、「無事帰れた~^^」と、いつもの笑顔で笑ってくれた♡
お祝いの花を買った花屋さんで、
「重陽の節句が近いので・・・」
と、小さな紙コップに入った菊の花のフラワーアレンジメントをプレゼントしていただいた♪

無病息災・長寿を願う「重陽の節句=菊の節句」に、
願いを込めて菊酒を飲もう!と、冷凍の食用菊をオーダーしたところだったので、
花屋さんから「お大事に」と言っていただいたようで、とても嬉しかった。
昨日の、糸井重里さんのコラムは、
現在NHKで放送されている大河ドラマ『べらぼう』の中の歌麿のセリフ
絵ってなぁ、いのちを写し取るようなものだなって。
いつかは消えていくいのちを紙の上に残す。
いのちを写すことがおれのできる償いなのかもしんねぇと思いだして。
近頃は少し心が軽くなってきたよ。
を受けて、
絵は、抽象画であろうが子どもの描くらくがきであろうが、いのちの軌跡を描いているのだと思います。
音楽も、声に出したり楽器を鳴らしたりして、 いのちを歌っているものでしょうし、踊りもいのちの動きを身体で表しているのでしょう。
人は人に、話しかけるときいのちを伝えている。
軽口のやりとりなんかもいのちのキャッチボールです。
ふつうに、なんでもないようにも見える、大人たちのふだんの仕事も、いのちを使って、他のいのちの手伝いをしているのではないでしょうか。
人のするいろんなことは、みんな「いのち」に関わることなんだ、と感じたのでした。
と記されていた。
あぁ、本当にそうだ。
今連日私が読んでいる小説は、村上春樹さんが「いのち」を使って書いてくれたものだし、
花屋さんが下さった可愛いアレンジメントも、花屋さんが「いのち」を使って作ってくれたものだ。
人は皆、自分の「いのち」を使って毎日を生きている。
普段はそのことになかなか気づけないけど、
体調を崩すと、「いのち」を使って生きていることのありがたさを実感する。
「いのちを削る」という表現がある。
「いのち」を使うってことは、「いのちの時間=寿命」を費やすという意味で、「いのち」を削ることと同意だ。
誰かが削ってくれた「いのちの時間」の賜物を、日々私達はいただいている。
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