誕生会と交流会

10月26日
昨夜は友人の誕生会をした。
ちょこちょこと季節のおつまみ(焼き銀杏や、栗の渋皮スパイス揚げ)をつまみながら、
ラムのロックと日本酒を飲んだ。
全員辛党なので、バースデーケーキなしの渋い誕生会^^;


今日は早起きして、音訳ボランティアの交流会に出席した。
私が所属する音訳の会と、
点字の会と、
視覚障害者の方たちが所属する福祉会の合同交流会。
総勢33名で、4時間半、活動報告や、質疑応答や、グループに分かれての座談会など、いろんな角度からお話ができて、具体的に、お役に立てている実感も持てて嬉しかった。
会の終わりに、司会をして下さっていた60代の男性が、
小学校で講演をされた際のエピソードをお話し下さった。
「何か質問はありませんか?」と、児童たちに尋ねたら、
「もし今目が見えたとしたら、何を見たいですか?」と訊かれたのだそうだ。
「大人はそういう質問をしないんです。大人は忖度して下さるから。 でも、子供は遠慮などせず、自分が思うままに、思ったことを口に出しますよね。笑
僕は、ちょっと考えて、
『僕には二人の子供がいます。彼らが生まれた時、僕はもう目が見えなかったから、もし今目が見えるなら、彼らの顔を見てみたいです。』と答えました。
そうするとね、会場全体がシーンと静まり返っちゃったんです。
きっと子供たちは、想像したんだと思うんですよ。
家族の顔が見えないって、どういう風なんだろう・・って。
そして、目が見えないっていうことを、子供たちなりに、理解してくれたんだと思うんです。
皆さんは、優しくお行儀よく接してくれる。
それはとてもありがたいことだけど、たとえ興味本位であっても、わからないこと、訊きたいことを、どんどんぶつけて下さい。
大人の忖度は、時に理解の妨げになるから。」
お話を聞いて、自分の中にあった「決めつけ」に気付いた。
「こうすべき」だとか「こうすべきじゃない」とか、
自分目線で引いていた勝手な遠慮だ。
彼が「忖度」という言葉で表した「他人の気持ちを推し量る」気遣いは、
あくまでも、自分目線の一方通行な気遣いなのだと、気付かせていただけた。
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