自分ではないもの

自分ではないもの





11月3日



今日は、第二次世界大戦終戦の12日前に、3歳で亡くなった叔父(亡き父の弟)の月命日。
朝、仏飯をお供えしながら、「いっぱい食べてね。」と語りかけた。
仏花は、白~ベビーピンクの優しい色の百合。






初の女性首相が誕生して以来、
彼女に対して、「女性を武器に」「媚びて」など、個人的に感じた印象を根拠とする批判を、幾度か見聞きした。



政治的信条については、個々の自由だけれど、

政治的な見解とは異なる人格的な攻撃を、「自分勝手な思い込み」をベースに、十分に人生経験を積んだ年齢の大人が行っていることに、がっかりする。



誰かが何かを言ったりしたりした際に、

「そういうことを、言ったりしたりするのは、きっとこういう理由からだろう。」と組み立てるストーリーは、
あくまでも、自分の経験や自分の価値観から作られるものだ。



もしかしたら、彼女は、まったく異なる動機や戦略から、その言動を選択したのかもしれない・・・という、
自分の無知や、未知を、なぜ考慮できないんだろう。

僕らは「自分ではないもの」にさせられると傷つきます。
受け入れがたいことを言われると傷つくし、同意していないことを無理矢理やらされると傷つく。
勝手に自分の生き方を決められてしまうなんて最悪です。


~~~東畑開人・著『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』より~~~



それぞれが、自分の人生を真剣に生きている・・・という当たり前の理解があれば、
自分以外の誰かの生き方を、勝手に解釈して批判することなどできるはずがない。



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