「老い」と「死」

「老い」と「死」






11月10日



今日は母の月命日。

これからお墓へ行ってくる。




私のブログ記事には、
「老い」や「死」をコンセプトにしたものが多くある。




若くして亡くなった父や弟の死を、
私はおそらく、アクシデント・・・のような捉え方をしていて、
自分自身の「この先」に投影することはなかった。




けれど、数えで90歳まで生きてくれた母は、
この先、私も必ず経験する「老いとはどういうことか」「死とはどういうことか」
を、身をもって示してくれた。




それまで「老い」や「死」を視野の外において、考えるべきではないもの、語るべきではないもの・・・として暮らしていた頃の私から、

「老い」や「死」を常に意識して生きる私へのターニングポイントが、

母を見送った最期の月日だったのだと思う。




「年齢なんてただの数字だ」という考え方はとても好きだ。
けれど、その一方、


「老い」と「死」をないもののようにして生きることは、違うな・・とも思っている。


「老い」も「死」もわきまえた上で、
「だけど、年齢なんてただの数字だ」と言える人でいたい。



そして、もう一つ。

忘れない事、語り継いでいく事、バトンを引き継いでいく事。
いなくなってしまった大事な人に対し生者ができる事。


~~~吉藤オリィさんのポストより~~~



いなくなってしまった大事な人を、
忘れず、幾度も語り、私の中に遺してくれた思いを継ぐ人生でありたい。



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