自分の中にもあって、でも、初めて見つけてあげられたきもち。

自分の中にもあって、でも、初めて見つけてあげられたきもち。





11月14日



結婚記念日にもらったアレンジメントのうち、元気な花だけを小分けにして花瓶に残した。


昨日、フラの先生にお裾分けいただいた柿も、追い熟を兼ねて一緒に飾ってみた♪





秋に咲く花も、秋に実る柿も、
「秋だなぁ・・・」という色をしていて不思議だ^^

紅葉した木の葉も、茜色の雲もそう。

不思議。




今日、心に響くコラムを読んだ。
『ほぼ日』が昨日発信した サノトモキさんによる「3分コラム」。


遺しておきたくて、
できたら、一人でも多くのかたに読んでいただきたくて、
シェアします。




『ふたつの巨大樹。』

長女が生まれて父親になって、
たくさんのきもちが生まれた。

まるである日突然じぶんのなかに、
新しい生態系や新しい宇宙が
「よっこいしょ」と引っ越しをしてきたかのように、
これまでのじぶんの世界では
観測したこともなかった彩り豊かなきもちが、
日々、ポコポコポコっと芽吹いていった。

そしてそれらの真ん中に、
いちばん大きな巨大樹としてドシンと現れたのが、
「ああ、俺も、生まれてきてよかった」
という、静かで確かな実感だった。

夜、寝室で長女の小さなほっぺたを見つめているとき、
「この子をこの世界に連れてくることができた」
というその一点で、
「じぶんが生まれてきた意味はあった」と思った。
ひとかけらの迷いも、淀みも、雑念もなかった。
じぶんの命をまるごと、
じぶんで抱きしめてやれたような感覚だった。

それは、子どものころからずっと抱いていた、
「なんのために生まれてきたんだろう?」
「なんのために生きているんだろう?」という、
真っ暗な宇宙にひとり漂う浮き草のような気持ちに、
はっきりと決着がついた瞬間だった。
胸の奥底でずうっと鳴り続けていた不協和音が、
ぴたっ、と止んだようだった。

そして3年が経ち、次女が生まれた。
次女が生まれる前、
次女は果たして、長女のときのように、
なにか新しい生態系を、宇宙を、連れてくるのだろうか?
とふと考えた。
「子どもを授かる」という人生への衝撃は
長女のときに経験しているわけだし、
じぶんにどのようなきもちが芽生えるのか、
あんまり想像ができなかった。

でもいま、やっぱり次女もまた、
まったくべつの生態系を、宇宙を、
ぼくのもとへ連れてきはじめている。

3日間の産後入院を終え、
次女と妻が、はじめて自宅に帰ってきた日。

朝から、長女の限界が来ていた。
妻と次女が入院をしている3日間、
長女はぼくとふたりっきりで、
はじめての「ママがいない夜」を、
2日も過ごしたあとだった。

長女はその2日間、本当によくがんばっていた。
泣かなかったのだ。
むしろ、たくさんぼくを手助けしてくれた。
いつもはたっぷり時間がかかるお風呂上がりも、
じぶんからお洋服を着て、
保湿クリームまで一生懸命じぶんでぺたぺたして、
普段は大嫌いなドライヤーまで、
「かみ、やろうかな」とじぶんからぼくに言ってきた。
我慢の限界でじぶんでもよくわからなくなって、
癇癪を起こしてしまう瞬間もあったし、
寂しくて、ほとんど泣きそうなときもあったけど、
それでも、本当によくがんばっていた。

だけど妻と次女が帰ってくる退院日は、
朝からもうダメだった。
保育園の教室の前で、彼女は20分以上、
「ほいくえんいきたくない」
「ぱぱとおうちかえる」と粘った。
「保育園の帰りに、お母さんと赤ちゃんに、
『おかえりなさいのケーキ』を買っていこうよ。
そのとき、君のケーキも買おう」と言ってみたけど、
気持ちは変わらなかった。
最後、先生に抱きかかえられると娘はわっと泣き出して、
先生の肩ごしに、ぼくに向かって手を伸ばしながら
教室に消えていった。
ぼくはそのまま病院に行って、
退院の手続きをして、妻と次女と一緒に家に帰った。

保育園が終わって、一緒にケーキを買って帰るときには、
長女はとてもご機嫌だった。
「あかちゃん、おきてるかなあ?」
と、自転車の後ろでずっとソワソワ、ワクワクしていた。

家に着くと、長女はとにかく次女を撫でた。
晩御飯を、一口くちに運んでは次女を撫でにいった。
いつもたちまち平らげるショートケーキも、
まるで進まなかったし、残した。

お風呂では、とびきりご機嫌だった。
たぶん、いろんなきもちが解放されていた。
お母さんがいるよころび、
赤ちゃんのいる生活がはじまったよろこび。
かなしさや寂しさから解放され、有頂天だった。
あんまりにもお風呂が進まないから、
ぼくはちょっと注意した。
「やあだ、やあだ」と言いながら、渋々洗った。
いつもは上手にお顔を洗えるのに、
「おみずこわかった」と言って抱きついた。
そのときから、いつもと少し様子が違っていた。

お風呂から出て、お着替えがはじまり、
長女は半袖のパジャマを選んだ。
妻が「もう寒いから長袖のパジャマにしよう?」と言った。
長女は「やあだ」と言って、
妻とその問答を2度繰り返したとき、
突然大爆発したかのように号泣しはじめた。

妻はべつに、注意するような口調ですらなかった。
普通に話しかけていたし、
長女もまだ助走段階くらいの「やあだ」だった。
そこからいつものグラデーションを全部ふっとばして
長女は泣いた。
たまっていたものが全部、
涙と一緒に溢れてきているようだった。

ぼくは長女を抱きしめた。
「ずっとがんばってて、あえてうれしかったよね」
「おふろでも、しかっちゃってごめんね」
「今日くらい、ママにもパパにも、
ぜんぶおねがい聞いてほしいよね」
と話しかけると、
うん、うん、と声に出しながら、
娘は大きく頷いて泣いた。

しばらくして、娘は泣きじゃくりながら、
身を捩ってぼくの腕を抜け出した。
どこに行くのかと思ったら、
長女は次女のそばに向かった。
ベビーベッドが邪魔してうまくできずにいるけど、
長女は次女を抱きしめようとしていた。
ベビーベッドの高さを低く調節しなおすと、
長女は、やさしく、でもぎゅうっと、次女を抱きしめた。
次女のほっぺたにキスをした。
じぶんの鼻を、次女のおでこへ、はなへ、ほっぺたへ、
ちょん、ちょん、ちょんと、そっとくっつけた。
長女に比べずいぶん穏やかで、
やわらかな空気を纏って生まれてきた次女は、
されるがままに、長女の顔をじっと見つめている。

目頭がカッと熱くなり、
じぶんが泣いていることに気づいた。
そんなつもりまるでなかったから、じぶんでも驚いた。
なんの涙かまるでわからなかったけど、
これまでのじぶんの世界では観測したこともなかった
新しいきもちが、感覚が、
ポコッと音を立てて芽吹いているのを感じた。
それは、「新たな巨大樹の誕生」である予感がした。

それはたぶん、「安堵」に近いしあわせだった。

泣きながら妹を撫でる長女と、
なんにもわからずそれを受け入れている次女の姿を見て、
あのときぼくは、「ああ、もう大丈夫だ」と思ったのだ。

長女には次女が、次女には長女がいる。
目の前に広がるその真新しい事実が、
「次女と出会う前のぼく」には
とても想像できないような次元の、
しあわせで、よころびで、安堵だった。

たぶんあれはそういう涙で、
次女が連れてきてくれたそのきもちはきっと、
「ふたつめの巨大樹」としてこの先、
ぼくのなかですくすくと育っていくのだと思う。

時間がたって、枝に葉がつくように、
少しずつ、きもちに言葉がつきはじめる。
子どもと暮らす日々は、そういうことばっかりだ。



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