よすが

4月11日
今日はシャンソンのレッスン日で、
同じ時間にレッスンを受けている友人の歌を聴いていたら、
窓の外に、観客みたいに^^鳩がいっぱい集まってた♪

昨夜、お風呂上りに歯を磨きながら、弟はそろそろ家に帰り着いた頃かな・・・と考えて、鏡に映った自分の顔を見たら、
50代の時に、目の下の腫瘍を切除した時のことを思い出した。
地元の大学病院の皮膚科で、
「目の下に引き攣れができると思いますが、命には代えられないでしょう。もうお歳もお歳ですし。」
と、術後に傷跡が残ることを説明され、
当時、再建医療を専門にしていた弟に相談したら、
「自分が手術をするから」と即応してくれて、
弟が勤務する都内の大学病院で、顕微鏡みたいなテレスコープを付けた弟が、局部麻酔で、術中、(不自然な引き攣れが出ないことを確認するため)顔の表情を変えるよう時折指示しながら腫瘍を切除してくれた。(抜糸は地元に戻ってからしてもらったのだけれど、「こんな細かい縫合見たことない」と担当医に言われたほど緻密に縫ってくれていた。)
おかげで、すっぴんになって、よーく見ないとわからないくらいの小さく細い瘢痕が残るだけですんだ。
今私が、自然な表情で思い切り笑えるのは、弟のおかげだ。
あの時、別の判断をしていたら、その後の人生は変わっていたことだろう。
その後再発もなく数年が過ぎた時、
弟に改めて感謝を伝えたら、
「僕はお姉ちゃんと歳が離れてたから、いつもしてもらってばかりで、僕がお姉ちゃんにしてあげたことは、小学校の時、誕生日プレゼントにボールペンをあげただけだったから、いつかちゃんとお返ししなきゃと思ってた。それができて良かった。」
と言った。笑
重要なのは自分の生きるよすがとなったものがどこかに残っているということだ。
さまざまな慣習でもいい。家族の祝いごとでもいい。思い出を秘めた家でもいい。
~~~サン=テグジュペリ「ある人質への手紙」より~~~
私が育った5人家族だった家庭は、今は弟と2人だけになり、
実家と呼べる場所もなくなってしまったけれど、
でも、5人の、そして2人の間の思い出は、
「私の生きるよすが」として残っている。
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